日蓮大聖人御書
ネット御書
(呵責謗法滅罪抄)
<1.前 P1128 2.次>

四十余年並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし、此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候、天台の云く「但下方の発誓を見る」等云云、又云く「是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし」等云云、妙楽の云く「子父の法を弘む」等云云、道暹云く「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。
 而るに仏の滅後正法一千年像法一千年末法に入つて二百二十余年が間月氏漢土日本一閻浮提の内に未だ一度も出でさせ給はざるは何なる事にて有るらん、正くも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は仏の滅後四百五十年まで此の土におはして大乗経を弘めさせ給ひ、其の後も香山清涼山より度度来つて大僧等と成つて法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士となれり、迦葉阿難等は仏の滅後二十年四十年法を弘め給ふ、嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず、二千二百余年が間教主釈尊の絵像木像を賢王聖主は本尊とす、然れども但小乗大乗華厳涅槃観経法華経の迹門普賢経等の仏真言大日経等の仏宝塔品の釈迦多宝等をば書けどもいまだ寿量品の釈尊は山寺精舎にましまさず何なる事とも量りがたし、釈迦如来は後五百歳と記し給ひ正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等と書き給いて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ、さればをしはかるに地涌千界の大菩薩は釈迦多宝十方の諸仏の御譲り御約束を空く黙止てはてさせ給うべきか。
 外典の賢人すら時を待つ郭公と申す畜鳥は卯月五月に限る、此の大菩薩も末法に出ずべしと見えて候、いかんと候べきぞ瑞相と申す事は内典外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり、


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