日蓮大聖人御書
ネット御書
(妙一女御返事)
<1.前 P1259 2.次>

 問うて云く両方の義相違すといへども汝が義のごとく水火ならず誹謗正法とはいわず如何、答えて云く誹謗正法とは其の相貌如何外道が仏教をそしり小乗が大乗をそしり権大乗が実大乗を下し実大乗が権大乗に力をあわせ詮ずるところは勝を劣という法にそむくがゆへに謗法とは申すか、弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝れたりと申す証文ありや、法華経には華厳経大日経等を下す文分明なり、所謂已今当等なり、弘法尊しと雖も釈迦多宝十方分身の諸仏に背く大科免れ難し事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ、汝等は人をかたうどとせり日蓮は日月帝釈梵王をかたうどとせん、日月天眼を開いて御覧あるべし、将又日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とをはすとけうしあわせて御覧候へ、弘法慈覚智証安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候、日蓮が義もし百千に一つも道理に叶いて候はばいかにたすけさせ給はぬぞ彼の人人の御義もし邪義ならばいかに日本国の一切衆生の無眼の報をへ候はんをば不便とはをぼせ候はぬぞ。
 日蓮が二度の流罪結句は頚に及びしは釈迦多宝十方の諸仏の御頚を切らんとする人ぞかし日月は一人にてをはせども四天下の一切衆生の眼なり命なり、日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見へて候、仏法のあぢわいをたがうる人は日月の御力をうばう人一切衆生の敵なり、いかに日月は光を放ちて彼等が頂をてらし寿命と衣食とをあたへてやしなひ給うぞ、彼の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは偏に日月の御心を入れさせ給いて謗ぜさせ給うか、其の義なくして日蓮がひが事ならば日天もしめし彼等にもめしあはせ其の理にまけてありとも其の心ひるがへらずば天寿をもめしとれかし。
 其の義はなくしてただ理不尽に彼等にさるの子を犬にあづけねづみの子をcにたぶやうにうちあづけてさんざんにせめさせ給いて彼等を罰し給はぬ事心へられず、日蓮は日月の御ためにはをそらくは大事の御かたきなり、教主釈尊の御前にてかならずうたへ申すべし、其の時うらみさせ給うなよ、日月にあらずとも地神も海神もきかれよ


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