日蓮大聖人御書
ネット御書
(生死一大事血脈抄)
<1.前 P1337 2.次>

是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり、天台の止観に云く「起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅」云云、釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し、法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん浅巨求A十王は裁断し倶生神は呵責せんか。
 今日蓮が弟子檀那等南無妙法蓮華経と唱えん程の者は千仏の手を授け給はん事譬えばX夕顔の手を出すが如くと思し食せ、過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず、過去の生死現在の生死未来の生死三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり。
 総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し、日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺日蓮に随順し又難に値い給う事心中思い遣られて痛しく候ぞ、金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為第一此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、


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