日蓮大聖人御書
ネット御書
(最蓮房御返事)
<1.前 P1342 2.次>

予が如く弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず、経文の如くならば予は正師なり善師なり諸宗の学者は悉く邪師なり悪師なりと覚し食し候へ、此の外善悪二師を分別する経論の文等是れ広く候へども兼て御存知の上は申すに及ばず候。
 只今の御文に自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不審に覚へ候、我等が本師釈迦如来法華経を説かんが為に出世ましませしには他方の仏菩薩等来臨影響して釈尊の行化を助け給う、されば釈迦多宝十方の諸仏等の御使として来つて化を日域に示し給うにもやあるらん、経に云く「我於余国遣化人為其集聴法衆亦遣化随順不逆」此の経文に比丘と申すは貴辺の事なり、其の故は聞法信受随順不逆眼前なり争か之を疑い奉るべきや、設い又在在諸仏土常与師倶生の人なりとも三周の声聞の如く下種の後に退大取小して五道六道に沈輪し給いしが成仏の期来至して順次に得脱せしむべきゆへにや、念仏真言等の邪法邪師を捨てて日蓮が弟子となり給うらん有り難き事なり。
 何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか無かりけるか又釈尊の御使として来つて化し給へるかさぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にもはげませ給へはげませ給へ。
 何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日夜半寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり、此の受職を得るの人争か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん、若し今生妙覚ならば後生豈等覚等の因分ならんや、実に無始曠劫の契約常与師倶生の理ならば日蓮今度成仏せんに貴辺豈相離れて悪趣に堕在したもう可きや、如来の記文仏意の辺に於ては世出世に就いて更に妄語無し、


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