日蓮大聖人御書
ネット御書
(諸法実相抄)
<1.前 P1360 2.次>

諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ一切衆生のためには大導師にてあるべしと釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩天神七代地神五代の神神鬼子母神十羅刹女四大天王梵天帝釈閻魔法王水神風神山神海神大日如来普賢文殊日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも堪忍して候なり、ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり。
 いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり、既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦多宝の二仏大将としてさだめ給いし事あにいつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり。
 日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候にすこしもくもりなし、又其の座にもやありけん凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり又未来は決定として当詣道場なるべし、過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん、三世各別あるべからず、此くの如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりなしうれしきにもなみだつらきにもなみだなり涙は善悪に通ずるものなり彼の千人の阿羅漢仏の事を思ひいでて涙をながし、


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