日蓮大聖人御書
ネット御書
(上野殿母御前御返事)
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正直捨方便と申す文の心是なり、足代より塔は出来して候へども塔を捨てて足代ををがむ人なし、今の世の道心者等一向に南無阿弥陀仏と唱えて一生をすごし南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人人は大塔をすてて足代ををがむ人人なり、世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。
 故七郎五郎殿は当世の日本国の人人にはにさせ給はず、をさなき心なれども賢き父の跡をおひ御年いまだはたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて仏にならせ給いぬ無一不成仏は是なり、乞い願わくは悲母我が子を恋しく思食し給いなば南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて故南条殿故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ、一つ種は一つ種別の種は別の種同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給いなば同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし、三人面をならべさせ給はん時御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。
 抑此の法華経を開いて拝見仕り候へば「如来則ち為に衣を以て之を覆いたもう又他方現在の諸仏の護念する所と為らん」等云云、経文の心は東西南北八方並びに三千大千世界の外四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給う、天には星の如く地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬えば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し、但四天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王一切の星宿一切の日月帝釈梵天等の守護せさせ給うに足るべき事なり、其の上一切の二乗一切の菩薩兜率内院の弥勒菩薩迦羅陀山の地蔵補陀落山の観世音清凉山の文殊師利菩薩等各各眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給うに足るべき事に候に又かたじけなくも釈迦多宝十方の諸仏のてづからみづから来り給いて昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。
 かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて今日は四十九日にならせ給へば一切の諸仏霊山浄土に集まらせ給いて或は手にすへ或は頂をなで或はいだき或は悦び月の始めて出でたるが如く


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