日蓮大聖人御書
ネット御書
(撰時抄)
<1.前 P0291 2.次>

若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし、伝教大師云く「讃むる者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に聞く」等云云、法華経に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、教主釈尊の金言まことならば多宝仏の証明たがずば十方の諸仏の舌相一定ならば今日本国の一切の衆生無間地獄に堕ちん事疑うべしや、法華経の八の巻に云く「若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は乃至諸願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」又云く「若し之を供養し讃歎すること有らん者は当に今世に於て現の果報を得べし」等云云、此の二つの文の中に亦於現世得其福報の八字当於今世得現果報の八字已上一六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば如来の金言は提婆が虚言に同じく多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ、謗法の一切衆生も阿鼻地獄に墮つべからず、三世の諸仏もましまさざるか、されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
 抑此の法華経の文に「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」涅槃経に云く「譬えば王使の善能談論して方便に巧なる命を他国に奉るに寧ろ身命を喪うとも終に王所説の言教を匿さざるが如し智者も亦爾なり凡夫中に於て身命を惜まずかならず大乗方等如来の秘蔵一切衆生に皆仏性有りと宣説すべし」等云云、いかやうな事のあるゆへに身命をすつるまでにてあるやらん委細にうけ給わり候はん、答えて云く予が初心の時の存念は伝教弘法慈覚智証等の勅宣を給いて漢土にわたりし事の我不愛身命にあたれるか、玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに六生が間身命をほろぼししこれ等か、雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間臂をやきし事かなんどをもひしほどに経文のごときんば此等にはあらず、経文に我不愛身命と申すは上に三類の敵人をあげて彼等がのりせめ


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