日蓮大聖人御書
ネット御書
(新池殿御消息)
<1.前 P1437 2.次>

これをあらあら経文に任せてかたり申せば日本国の男女四十九億九万四千八百二十八人ましますが某一人を不思議なる者に思いて余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成りて、主師親の釈尊をもちひぬだに不思議なるに、かへりて或はのり或はうち或は処を追ひ或は讒言して流罪し死罪に行はるれば、貧なる者は富めるをへつらひ賎き者は貴きを仰ぎ無勢は多勢にしたがう事なれば、適法華経を信ずる様なる人人も世間をはばかり人を恐れて多分は地獄へ堕つる事不便なり、但し日蓮が愚眼にてやあるらん又宿習にてや候らん法華経最第一已今当説難信難解唯我一人能為救護と説かれて候文は如来の金言なり敢て私の言にはあらず、当世の人は人師の言を如来の金言と打ち思ひ或は法華経に肩を並べて斉しと思ひ或は勝れたり或は劣るなれども機にかなへりと思へり、しかるに如来の聖教に随他意随自意と申す事あり、譬えば子の心に親の随うをば随他意と申す親の心に子の随うをば随自意と申す、諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる、譬えば白紙を墨に染むれば黒くなり黒漆に白き物を入るれば白くなるが如し毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す、然るに今の人人は高きも賎きも現在の父たる釈迦仏をばかろしめて他人の縁なき阿弥陀大日等を重んじ奉るは是れ不孝の失にあらずや是れ謗法の人にあらずや、と申せば日本国の人一同に怨ませ給うなり、其れもことはりなりまがれる木はすなをなる繩をにくみいつはれる者はただしき政りごとをば心にあはず思うなり。
 我が朝人王九十一代の間に謀叛の人人は二十六人なり、所謂大山の王子大石の小丸乃至将門すみとも悪左府等なり、此等の人人は吉野とつ河の山林にこもり筑紫鎮西の海中に隠るれば島島のえびす浦浦のもののふどもうたんとす、然れどもそれは貴き聖人山山寺寺社社の法師尼女人はいたう敵と思う事なし、


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