日蓮大聖人御書
ネット御書
(治病大小権実違目)
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大連等便りを得て奏問せしかば僧尼等をはじに及ぼすのみならず金銅の釈迦仏をすみををこして焼き奉る寺又同じ、爾の時に大連やみ死ぬ王も隠れさせ給い仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ、大連が子守屋の大臣云く此の仏をあがむる故に三代の国主すでにやみかくれさせ給う我が父もやみ死ぬ、まさに知るべし仏をあがむる聖徳太子馬子等はをやのかたき公の御かたきなりと申せしかば穴部の王子宅部の王子等並びに諸臣已下数千人一同によりきして仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ結句は守屋討たれ了んぬ、仏法渡りて三十五年が間年年に三災七難疫病起りしが守屋馬子に討たるるのみならず神もすでに仏にまけしかば災難忽に止み了んぬ、其の後の代代の三災七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり、而れども或は一人二人或は一国二国或は一類二類或は一処二処の事なれば神のたたりも有り謗法の故もあり民のなげきよりも起る。
 而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑えず日本一同に日蓮をあだみて国国郡郡郷郷村村人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり、神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし、止観の十境十乗の観法は天台大師説き給いて後行ずる人無し、妙楽伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわきゆへにさてすぎぬ、止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず今日蓮が時具さに起れり、又天台伝教等の時の三障四魔よりもいまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり一には理二には事なり天台伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候、恐恐謹言。
=  六月二十六日             日蓮花押


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