日蓮大聖人御書
ネット御書
(顕謗法抄)
<1.前 P0455 2.次>

檀戒進等一一にそしり一一にほむる皆得道をなる、此等を以てこれを思うに護法清弁のあらそい智光戒賢の空中南三北七の頓漸不定一時二時三時四時五時四宗五宗六宗天台の五時華厳の五教真言教の東寺天台の諍浄土宗の聖道浄土禅宗の教外教内、入門は差別せりというとも実理に入る事は但一なるべきか。
 難じて云く華厳の五教法相三論の三時禅宗の教外浄土宗の難行易行南三北七の五時等門はことなりといへども入理一にして皆仏意に叶い謗法とならずといはば謗法という事あるべからざるか謗法とは法に背くという事なり法に背くと申すは小乗は小乗経に背き大乗は大乗経に背く法に背かばあに謗法とならざらん謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん、此の道理にそむくこれひとつ、大般若経に云く「般若を謗ずる者は十方の大阿鼻地獄に堕つべし」法華経に云く「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と涅槃経に云く「世に難治の病三あり一には四重二には五逆三には謗大乗なり」此等の経文あにむなしかるべき、此等は証文なり、されば無垢論師大慢婆羅門熈連禅師嵩霊法師等は正法を謗じて現身に大阿鼻地獄に堕ち舌口中に爛れたりこれは現証なり、天親菩薩は小乗の論を作つて諸大乗経をはしき、後に無著菩薩に対して此の罪を懺悔せんがために舌を切らんとくい給いき、謗法もし罪とならずんばいかんが千部の論師懺悔をいたすべき、闡提とは天竺の語此には不信と翻す不信とは一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見へたり。
 不信とは謗法の者なり恒河の七種の衆生の第一は一闡提謗法常没の者なり、第二は五逆謗法常没等の者なりあに謗法ををそれざらん、答えて云く謗法とは只由なく仏法を謗ずるを謗法というか我が宗をたてんがために余法を謗ずるは謗法にあらざるか、摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣とは仮令人ありて一生の間一善をも修せず但悪を作る者あり而るに小縁にあいて何れの善にてもあれ一善を修せんと申すこれは随喜讃歎すべし、


<1.前 P0455 2.次>