日蓮大聖人御書
ネット御書
(聖愚問答抄)
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正法の僧を重んじて邪悪の侶を誡むる人かくの如くの徳あり、されば今の世に摂受を行ぜん人は謗人と倶に悪道に堕ちん事疑い無し、南岳大師の四安楽行に云く「若し菩薩有つて悪人を将護し治罰すること能わず乃至其の人命終して諸悪人と倶に地獄に堕せん」と、此の文の意は若し仏法を行ずる人有つて謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専らにして邪正権実をも簡ばず詐つて慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云う文なり、今真言念仏禅律の謗人をたださずいつはつて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし。
 爰に愚人意を竊にし言を顕にして云く誠に君を諌めて家を正しくする事先賢の教へ本文に明白なり外典此くの如し内典是に違うべからず、悪を見ていましめず謗を知つてせめずば経文に背き祖師に違せん其の禁め殊に重し今より信心を至すべし、但し此経を修行し奉らん事叶いがたし若し其の最要あらば証拠を聞かんと思ふ、聖人示して云く今汝の道意を見るに鄭重慇懃なり、所謂諸仏の誠諦得道の最要は只是れ妙法蓮華経の五字なり、檀王の宝位を退き竜女が蛇身を改めしも只此の五字の致す所なり、夫れ以れば今の経は受持の多少をば一偈一句と宣べ修行の時刻をば一念随喜と定めたり、凡そ八万法蔵の広きも一部八巻の多きも只是の五字を説かんためなり、霊山の雲の上鷲峯の霞の中に釈尊要を結び地涌付属を得ることありしも法体は何事ぞ只此の要法に在り、天台妙楽の六千張の疏玉を連ぬるも道邃行満の数軸の釈金を並ぶるも併しながら此の義趣を出でず、誠に生死を恐れ涅槃を欣い信心を運び渇仰を至さば遷滅無常は昨日の夢菩提の覚悟は今日のうつつなるべし、只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし。
 愚人掌を合せ膝を折つて云く貴命肝に染み教訓意を動ぜり然りと雖も上能兼下の理なれば広きは狭きを括り多は少を兼ぬ、然る処に五字は少く文言は多し首題は狭く八軸は広し如何ぞ功徳斉等ならんや、聖人云く汝愚かなり捨少取多の執須弥よりも高く軽狭重広の情溟海よりも深し、今の文の初後は必ず多きが尊く少きが卑しきにあらざる事前に示すが如し、


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