日蓮大聖人御書
ネット御書
(四条金吾殿御返事)
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なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候、恐恐謹言。
= 十月二十三日              日蓮花押
%  四条金吾殿御返事
*四条金吾殿御返事   /弘安三年十月 五十九歳御作

 殿岡より米送り給び候、今年七月盂蘭盆供の僧膳にして候、自恣の僧霊山の聴衆仏陀神明も納受随喜し給うらん、尽きせぬ志連連の御訪い言を以て尽くしがたし。
 何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時既に相模の国竜の口にて頚切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをばいつの世にか思い忘るべき、それのみならず佐渡の島に放たれ北海の雪の下に埋もれ北山の嶺の山下風に命助かるべしともをぼへず、年来の同朋にも捨てられ故郷へ帰らん事は大海の底のちびきの石の思ひしてさすがに凡夫なれば古郷の人人も恋しきに在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遥に尋ね来り給いし志香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき、又我が身はこれ程に浮び難かりしがいかなりける事にてや同十一年の春の比赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ、倩事の情を案ずるに今は我身に過あらじ、或は命に及ばんとし弘長には伊豆の国文永には佐渡の島諌暁再三に及べば留難重畳せり、仏法中怨の誡責をも身にははや免れぬらん。


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