日蓮大聖人御書
ネット御書
(頼基陳状)
<1.前 P1159 2.次>

 仰せ下しの状に云く竜象房極楽寺の長老見参の後は釈迦弥陀とあをぎ奉ると云云、此の条又恐れ入り候、彼の竜象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由露顕せしむるの間、山門の衆徒蜂起して世末代に及びて悪鬼国中に出現せり、山王の御力を以て対治を加えむとて住所を焼失し其の身を誅罰せむとする処に自然に逃失し行方を知らざる処にたまたま鎌倉の中に又人の肉を食の間情ある人恐怖せしめて候に仏菩薩と仰せ給う事所従の身として争か主君の御あやまりをいさめ申さず候べき、御内のをとなしき人人いかにこそ存じ候へ。
 同じき下し状に云く是非につけて主親の所存には相随わんこそ仏神の冥にも世間の礼にも手本と云云、此の事最第一の大事にて候へば私の申し状恐れ入り候間本文を引くべく候、孝経に云く「子以て父に争わずんばあるべからず臣以て君に争わずんばあるべからず」、鄭玄曰く「君父不義有らんに臣子諌めざるは則ち亡国破家の道なり」新序に曰く「主の暴を諌めざれば忠臣に非ざるなり、死を畏れて言わざるは勇士に非ざるなり」、伝教大師云く「凡そ不誼に当つては則ち子以て父に争わずんばあるべからず臣以て君に争わずんばあるべからず当に知るべし君臣父子師弟以て師に争わずんばあるべからず」文、法華経に云く「我れ身命を愛まず但無上道を惜む」文、涅槃経に云く「譬えば王の使の善能談論し方便に巧にして命を他国に奉ずるに寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し智者も亦爾り」文、章安大師云く「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれとは身は軽く法は重し身を死して法を弘む」文、又云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐り親むは則ち是れ彼が怨なり能く糺治する者は彼の為めに悪を除く則ち是れ彼が親なり」文、頼基をば傍輩こそ無礼なりと思はれ候らめども世の事にをき候ては是非父母主君の仰せに随い参らせ候べし。
 其にとて重恩の主の悪法の者にたぼらかされましまして悪道に堕ち給はむをなげくばかりなり、


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