日蓮大聖人御書
ネット御書
(四十九院申状)
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是れ併ら仏法の邪正を糺さず僧侶の賢愚を撰ばざる故なり、夫れ仏法は王法の崇尊に依つて威を増し王法は仏法の擁護に依つて長久す、正法を学ぶの僧を以て外道と称せらるるの条理豈然る可けんや外道か外道に非ざるか早く厳誉律師と召し合わせられ真偽を糺されんと欲す。
 且去る文応年中師匠日蓮聖人仏法の廃れたるを見未来の災を鑒み諸経の文を勘え一巻の書を造る[立正安国論と号す]、異国の来難果して以て符合し畢んぬ未萠を知るを聖と謂つ可きか、大覚世尊霊山虚空二処三会二門八年の間三重の秘法を説き窮むと雖も仏滅後二千二百二十余年の間月氏の迦葉阿難竜樹天親等の大論師漢土の天台妙楽日本の伝教大師等内には之を知ると雖も外に之を伝えず第三の秘法今に残す所なり、是偏に末法闘諍の始他国来難の刻一閻浮提の中の大合戦起らんの時国主此の法を用いて兵乱に勝つ可きの秘術なり、経文赫赫たり所説明明たり、彼れと云い此れと云い国の為世の為尤も尋ね聞し食さるべき者なり、仍て款状を勒して各言上件の如し。
          承 賢
          賢 秀
          日 持
          日 興
= 弘安元年三月  日
滝泉寺申状   /弘安二年十月 五十八歳御代作

 駿河の国富士下方滝泉寺の大衆越後房日弁下野房日秀等謹んで弁言す。


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