日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
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永く見思を断じ尽して三界六道に此の生の尽きて後生ずべからず見思の煩悩無きが故なり、又此の教の意は三界六道より外に処を明さざれば生処有りと知らず身に煩悩有りとも知らず又生因なく但灰身滅智と申して身も心もうせ虚空の如く成るべしと習う、法華経にあらずば永く仏になるべからずと云うは二乗是なり、此の教の修行の時節は声聞は三生[鈍根]六十劫[利根]又一類の最上利根の声聞一生の内に阿羅漢の位に登る事あり、縁覚は四生[鈍根]百劫[利根]菩薩は一向凡夫にて見思を断ぜず而も四弘誓願を発し六度万行を修し三僧祇百大劫を経て三蔵教の仏と成る仏と成る時始めて見思を断尽するなり、見惑とは一には身見[亦我見と云う]二には辺見[亦断見常見と云う]三には邪見[亦撥無見と云う]四には見取見[亦劣謂勝見と云う]五には戒禁取見[亦非因計因非道計道見と云う]なり見惑は八十八有れども此の五が根本にて有るなり、思惑とは一には貪二には瞋三には癡四には慢なり思惑は八十一有れども此の四が根本にて有るなり、此の法門は阿含経四十巻婆沙論二百巻正理論顕宗論倶舎論に具に明せり、別して倶舎宗と申す宗有り又諸の大乗に此の法門少少明す事あり謂く方等部の経涅槃経等なり但し華厳般若法華には此の法門無し。
 次に通教とは[大乗の始なり]又戒定慧の三学あり、此の教の意のおきて大旨は六道を出でず少分利根なる菩薩六道より外に推し出すことあり、声聞縁覚菩薩共に一の法門を習い見思を三人共に断じ而も声聞縁覚灰身滅智の意に入る者もあり入らざる者もあり、此の教に十地あり。
          一 乾慧地  三賢
          二 性地   四善根    賢人
          三 八人地  見道位聖人
                 見惑を断ず
          四 見地   初果の聖人


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