日蓮大聖人御書
ネット御書
(題目弥陀名号勝劣事)
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て水に月を求るに似たり人の心に叶いて法華経を失ふ大術此の義にはすぎず、次に不浄念仏の事一切念仏者の師とする善導和尚法然上人は他事にはいわれなき事多けれども此の事にをいてはよくよく禁められたり、善導の観念法門経に云く酒肉五辛を手に取らざれ口にかまざれ手にとり口にもかみて念仏を申さば手と口に悪瘡付くべしと禁め法然上人は起請を書いて云く酒肉五辛を服して念仏申さば予が門弟にあらずと云云、不浄にして念仏を申すべしとは当世の念仏者の大妄語なり。
 問うて云く善導和尚法然上人の釈を引くは彼の釈を用るや否や、答えて云くしからず念仏者の師たる故に彼がことば己が祖師に相違するが故に彼の祖師の禁めをもて彼を禁るなり、例せば世間の沙汰の彼が語の彼の文書に相違するを責るが如し、問うて云く善導和尚法然上人には何事の失あれば用いざるや、答えて云く仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍るに法華経には我が滅度の後末法に諸経失せて後殊に法華経流布すべき由一所二所ならずあまたの所に説かれて侍り、随つて天台妙楽伝教安然等の義に此事分明なり、然るに善導法然法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依つて仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に法華経をまげ入れて還つて我が経の名号に対して読誦大乗の一句をすつる時法華経を抛てよ門を閉じよ千中無一なんど書いて侍る僻人をば眼あらん人是をば用うべしやいなや。
 疑つて云く善導和尚は三昧発得の人師本地阿弥陀仏の化身口より化仏を出せり、法然上人は本地大勢至菩薩の化身既に日本国に生れては念仏を弘めて頭より光を現ぜり争か此等を僻人と申さんや、又善導和尚法然上人は汝が見る程の法華経並に一切経をば見給はざらんや定めて其の故是あらんか、答えて云く汝が難ずる処をば世間の人人定めて道理と思はんか、是偏に法華経並に天台妙楽等の実経実義を述べ給へる文義を捨て善導法然等の


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