日蓮大聖人御書
ネット御書
(真言天台勝劣事)
<1.前 P0135 2.次>

次に蘇悉地経に云く「猶成ぜざらん者は或は復大般若経を転読すること七遍」云云、此の文の心は大般若経は華厳経には劣り蘇悉地経には勝ると見えたり[此其五]、次に蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」云云、此の文の心は蘇悉地経は大般若経には劣り大日経金剛頂経には勝ると見えたり[此其六]、此の義を以て大日経は法華経より七重の劣とは申すなり法華の本門に望むれば八重の劣とも申すなり。
 次に弘法大師の十住心を立てて法華は三重劣ると云う事は安然の教時義と云う文に十住心の立様を破して云く五つの失有り謂く一には大日経の義釈に違する失二には金剛頂経に違する失三には守護経に違する失四には菩提心論に違する失五には衆師に違する失なり、此の五つの失を陳ずる事無くしてつまり給へり、然る間法華は真言より三重の劣と釈し給へるが大なる僻事なり謗法に成りぬと覚ゆ、次に覚鑁の法華は真言の履取に及ばずと舎利講の式に書かれたるは舌に任せたる言なり証拠無き故に専ら謗法なる可し、次に世を挙げて密教勝れ顕教劣ると此を許すと云う事是れ偏に弘法を信じて法を信ぜざるなり、所以に弘法をば安然和尚五失有りと云うて用いざる時は世間の人は何様に密教勝ると思ふ可き抑密教勝れ顕教劣るとは何れの経に説きたるや是又証拠無き事を世を挙げて申すなり、猶難じて云く大日経等は是中央大日法身無始無終の如来法界宮或は色究竟天他化自在天にして菩薩の為に真言を説き給へり法華は釈迦応身霊山にして二乗の為に説き給へり或は釈迦は大日の化身なりとも云へり、成道の時は大日の印可を蒙て齊嘯フ観を教えられ後夜に仏になるなり大日如来だにもましまさずば争か釈迦仏も仏に成り給うべき此等の道理を以て案ずるに法華より真言勝れたる事は云うに及ばざるなり、答えて云く依法不依人の故にいかやうにも経説のやうに依る可きなり、大日経は釈迦の大日となつて説き給へる経なり故に金光明と最勝王経との第一には中央釈迦牟尼と云へり又金剛頂経の第一にも中央釈迦牟尼仏と云へり大日と釈迦とは一つ中央の仏なるが故に大日経をば釈迦の説とも云うべし大日の説とも云うべし、又毘盧遮那と云うは


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