日蓮大聖人御書
ネット御書
(真言見聞)
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しかのみならず真言の高祖竜樹菩薩法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず、所以は何ん大日経に云く「仏不思議真言相道の法を説いて一切の声聞縁覚を共にせず亦世尊普く一切衆生の為にするに非ず」云云、二乗を隔つる事前四味の諸教に同じ、随つて唐決には方等部の摂と判ず経文には四教含蔵と見えたり、大論第百巻に云く〔第九十品を釈す〕「問うて曰く更に何れの法か甚深にして般若に勝れたる者有つて般若を以て阿難に嘱累し而も余の経をば菩薩に嘱累するや、答えて曰く般若波羅蜜は秘密の法に非ず而も法華等の諸経に阿羅漢の受決作仏を説いて大菩薩能く受用す譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、玄義の六に云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く二乗の根敗反た復すること能わず之を名づけて毒と為す今経に記を得るは即ち是れ毒を変じて薬と為す、故に論に云く余経は秘密に非ずとは法華を秘密と為せばなり、復本地の所説有り諸経に無き所後に在つて当に広く明すべし」云云、籤の六に云く「第四に引証の中論に云く等と言うは大論の文証なり秘密と言うは八経の中の秘密には非ず但是れ前に未だ説かざる所を秘と為し開し已れば外無きを密と為す」文、文句の八に云く「方等般若に実相の蔵を説くと雖も亦未だ五乗の作仏を説かず亦未だ発迹顕本せず頓漸の諸経は皆未だ融会せず故に名づけて秘と為す」文、記の八に云く「大論に云く法華は是れ秘密諸の菩薩に付すと、今の下の文の如きは下方を召すに尚本眷属を待つ験けし余は未だ堪えざることを」云云、秀句の下に竜女の成仏を釈して「身口密なり」と云えり云云、此等の経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給へるを経論に文証も無き妄語を吐き法華を顕教と名づけて之を下し之を謗ず豈大謗法に非ずや。
 抑も唐朝の善無畏金剛智等法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは梵華両国共に勝劣か、法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙葱嶺等の険難五万八千里十万里の路次容易ならざる間


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