日蓮大聖人御書
ネット御書
(八宗違目抄)
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 法華経に云く[此れは略開三の文なり仏の自説なり]「所謂諸法とは如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等」又云く「唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」
 蓮華三昧経に云く「本覚心法身常に妙法の心蓮台に住して本より来た三身の徳を具足し三十七尊[金剛界の三十七尊なり]心城に住したまえるを帰命したてまつる心王大日遍照尊心数恒沙諸の如来も普門塵数諸の三昧因果を遠離して法然として具す無辺の徳海本より円満還つて我心の諸仏を頂礼す」、仏蔵経に云く「仏一切衆生心中に皆如来有して結跏趺坐すと見そなわす」文。
 問うて云く真言宗は一念三千を用いるや、答えて云く大日経の義釈[善無畏金剛智不空一行]に云く[此の文に五本有り十巻の本は伝教弘法之を見ず智証之を渡す]「此の経は是れ法王の秘宝なり妄りに卑賎の人に示さざれ釈迦出世して四十余年に舎利弗の慇懃なる三請に因りて方に為に略して妙法蓮華の義を説きたまいしが如し、今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深の秘処なるが故に、寿量品に云く常在霊鷲山及余諸住処乃至我浄土不毀而衆見焼尽と即ち此の宗の瑜伽の意ならくのみ又補処の菩薩の慇懃の三請に因つて方に為に之を説けり」と、又云く「又此の経の宗は横に一切の仏教を統ぶ唯蘊無我にして世間の心を出で蘊の中に住すと説くが如きは即ち諸部の小乗三蔵を摂す、蘊の阿頼耶を観じて自心の本不生を覚ると説くが如きは即ち諸経の八識三性無性の義を摂す、極無自性心と十緑生の句を説くが如きは即ち華厳般若の種種の不思議の境界を摂して皆其の中に入る、如実知自心を一切種智と名づくと説くが如きは則ち仏性[涅槃経なり]一乗[法華経なり]如来秘蔵[大日経なり]皆其の中に入る種種の聖言に於て其の精要を統べざること無し、毘盧遮那経の疏[伝教弘法之を見る]第七の下に云く天台の誦経は是れ円頓の数息なりと謂う是れ此の意なり」と。
 大宋の高僧伝巻の第二十七の含光の伝に云く「代宗光を重んずること[玄宗代宗の御宇に真言わたる含光は不空三蔵の弟子なり]不空を見るが如し


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