日蓮大聖人御書
ネット御書
(唱法華題目抄)
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然る可しとをぼゆ天台妙楽より已来今に論有る事に侍り天台の三大部六十巻総じて五大部の章疏の中にも約教の時は爾前の円を嫌ふ文無し、只約部の時ばかり爾前の円を押ふさねて嫌へり、日本に二義あり園城寺には智証大師の釈より起つて爾前の円を嫌ふと云い山門には嫌はずと云う互に文釈あり倶に料簡あり然れども今に事ゆかず、但し予が流の義には不審晴れておぼえ候、其の故は天台大師四教を立て給うに四の筋目あり、一には爾前の経に四教を立つ二には法華経と爾前と相対して爾前の円を法華の円に同じて前三教を嫌う事あり、三には爾前の円をば別教に摂して前三教と嫌ひ法華の円をば純円と立つ四には爾前の円をば法華に同ずれども但法華経の二妙の中の相待妙に同じて絶待妙には同ぜず、此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の冰解けたり一一の証文は且つは秘し且つは繁き故に之を載せず、又法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌う事不審なき者なり、爾前の円をば別教に摂して約教の時は前三為後一為妙と云うなり此の時は爾前の円は無量義経の歴劫修行の内に入りぬ、又伝教大師の註釈の中に爾前の八教を挙げて四十余年未顕真実の内に入れ或は前三教をば迂回と立て爾前の円をば直道と云い無量義経をば大直道と云う委細に見る可し。
 問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈一句をも読み奉る可し助縁には南無釈迦牟尼仏多宝仏十方諸仏一切の諸菩薩二乗天人竜神八部等心に随うべし愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。


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