日蓮大聖人御書
ネット御書
(秋元御書)
<1.前 P1072 2.次>

是は水の漏が如し、或は法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経一口は南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し、法華経の文に「但大乗経典を受持することを楽うて乃至余経の一偈をも受けざれ」等と説くは是なり、世間の学匠は法華経に余行を雑えても苦しからずと思へり、日蓮もさこそ思い候へども経文は爾らず、譬えば后の大王の種子を妊めるが又民ととつげば王種と民種と雑りて天の加護と氏神の守護とに捨てられ其の国破るる縁となる、父二人出来れば王にもあらず民にもあらず人非人なり、法華経の大事と申すは是なり、種熟脱の法門法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり、南無阿弥陀仏は仏種にはあらず真言五戒等も種ならず、能く能く此の事を習い給べし是は雑なり、此の覆漏i雑の四の失を離れて候器をば完器と申してまたき器なり、塹つつみ漏らざれば水失る事なし、信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし、今此の筒の御器は固く厚く候上漆浄く候へば法華経の御信力の堅固なる事を顕し給うか、毘沙門天は仏に四つの鉢を進らせて四天下第一の福天と云はれ給ふ、浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養し進らせて妙音菩薩と成り給ふ、今法華経に筒御器三十盞六十進らせて争か仏に成らせ給はざるべき。
 抑日本国と申すは十の名あり扶桑野馬台水穂秋津洲等なり、別しては六十六箇国島二つ長さ三千余里広さは不定なり、或は百里或は五百里等、五畿七道郡は五百八十六郷は三千七百二十九田の代は上田一万一千一百二十町乃至八十八万五千五百六十七町人数は四十九億八万九千六百五十八人なり、神社は三千一百三十二社寺は一万一千三十七所男は十九億九万四千八百二十八人女は二十九億九万四千八百三十人なり、其の男の中に只日蓮第一の者なり、何事の第一とならば男女に悪まれたる第一の者なり、其の故は日本国に国多く人多しと云へども其の心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす、阿弥陀仏を本尊とし九方を嫌いて西方を願う、設い法華経を行ずる人も真言を行ふ人も、戒を持つ者も智者も愚人も余行を傍として念仏を正とし罪を消さん謀は名号なり、


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