日蓮大聖人御書
ネット御書
(新尼御前御返事)
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謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、大旱魃大火大水大風大疫病大飢饉大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏諸菩薩諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとくしげからん時此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ、而るに日蓮上行菩薩にはあらねどもほぼ兼てこれをしれるは彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す、此の法門弘通せんには如来現在猶多怨嫉況滅度後一切世間多怨難信と申して第一のかたきは国主並びに郡郷等の地頭領家万民等なり、此れ又第二第三の僧侶がうつたへについて行者を或は悪口し或は罵詈し或は刀杖等云云。
 而るを安房の国東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし、其の故は天照太神跡を垂れ給へり、昔は伊勢の国に跡を垂れさせ給いてこそありしかども、国王は八幡加茂等を御帰依深くありて天照太神の御帰依浅かりしかば、太神瞋りおぼせし時源右将軍と申せし人御起請文をもつてあをかの小大夫に仰せつけて頂戴し伊勢の外宮にしのびをさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に日本を手ににぎる将軍となり給いぬ、此の人東条の郡を天照太神の御栖と定めさせ給う、されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず安房の国東条の郡にすませ給うか、例えば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は山城の国男山に移り給い、今は相州鎌倉鶴が岡に栖み給うこれもかくのごとし。
 日蓮は一閻浮提の内日本国安房の国東条の郡に始めて此の正法を弘通し始めたり、随つて地頭敵となる彼の者すでに半分ほろびて今半分あり、領家はいつわりをろかにて或時は信じ或時はやぶる不定なりしが日蓮御勘気を蒙りし時すでに法華経をすて給いき、日蓮先よりけさんのついでごとに難信難解と申せしはこれなり、


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