日蓮大聖人御書
ネット御書
(妙一尼御前御消息)
<1.前 P1253 2.次>

然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云、天台摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云とこそ仏は答えさせ給いしか、文の心は人にはあまたの子あれども父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには一切衆生は皆子なり其の中罪ふかくして世間の父母をころし仏経のかたきとなる者は病子のごとし、しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし我がてきとなりしかば天もすてて日月に変いで地も頂かじとふるひ万民みな仏法にそむき他国より摩竭国をせむ、此等は偏に悪人提婆達多を師とせるゆへなり、結句は今日より悪瘡身に出て三月の七日無間地獄に堕つべし、これがかなしければ我涅槃せんこと心にかかるというなり、我阿闍世王をすくひなば一切の罪人阿闍世王のごとしとなげかせ給いき。
 しかるに聖霊は或は病子あり或は女子ありわれすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかに心ぐるしかるらんとなげかれぬらんとおぼゆ、かの心のかたがたには又は日蓮が事心にかからせ給いけん、仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし、それについては此の御房はいかなる事もありていみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、いうかいなくながし失しかばいかにやいかにや法華経十羅刹はとこそをもはれけんに、いままでだにもながらえ給いたりしかば日蓮がゆりて候いし時いかに悦ばせ給はん。
 又いゐし事むなしからずして大蒙古国もよせて国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん、これは凡夫の心なり、法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかずみず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。
 故聖霊は法華経に命をすててをはしき、わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや、


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