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キーワード:"無作の三身"で検索します。
 1  P0382  本朝の根本大師の御釈に云く「有為の報仏は夢中の権果無作の三身は覚前の実仏」と釈して阿弥陀仏等の有為無
 2  P0560  に云く「有為の報仏は夢中の権果[前三教の修行の仏]無作の三身は覚前の実仏なり[後の円教の観心の仏]」
 3  P0720  り父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮
 4  P0752  如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来と
 5  P0753  、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍
 6  P0753  を実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知する
 7  P0754  秘とは是なり、三身即一身名為密も此の意なり、然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり
 8  P0756  る時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類
 9  P0756  うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる
10  P0759   御義口伝に云く無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華
11  P0759  自受用身自受用身とは尊形を出でたる仏と出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙
12  P0759  遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二
13  P0761  義口伝に云く此の文を自受用の明文と云えり、此地とは無作の三身の依地なり仏子とは法華の行者なり仏子は菩
14  P0776  仏に非ずと云う事なし、寿量品の時は十界本有と説いて無作の三身なり、観音既に法華経を頂受せり然らば此の
15  P0783  云うなり、円の上にて是を沙汰するなり、本門の事常住無作の三身に対して迹門を無常と云うなり、守護章には
16  P0790   此の文は一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。
17  P0790   此の文は万法を無作の三身と見るを如実知見と云う無作の覚体なれば何に依つて生死有りと云わんか。
18  P0798  の品は迹門流通の後本門開顕の序分なり、故に先ず本地無作の三身を顕さんが為に釈尊所具の菩薩なるが故本地
19  P0799   御義口伝に云く此の品は上の品の時本地無作の三身如来の寿を聞く故に今品にして上の無作の三身を信解する
20  P0800   御義口伝に云く無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も我が身の上の事なり、然らば父母所生の六根は清浄
21  P0835  の行者なり、所詮寿量開顕の眼の顕れては、此の見仏は無作の三身なり、聞法は万法己己の音声なり、信受教誨
22  P0892  に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり、無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越
23  P1021  りき、所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり、かかる砌なれば久遠
24  P1261  は当位即妙本有不改と断ずるなれば肉身を其のまま本有無作の三身如来と云える是なり、此の法門は一代諸教の
25  P1362  、四に果海円満とは諸法の自性を尋ねて悉く本性を捨て無作の三身を成す法として無作の三身に非ること無し故

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