一昨日御書

一昨日御書         /文永八年九月 五十歳御作

+                    与平左衛門尉頼綱

 一昨日見参に罷入候の条悦び入り候、抑人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は専ら衆生を救わんが為

なり、爰に日蓮比丘と成りしより旁法門を開き已に諸仏の本意を覚り早く出離の大要を得たり、其の要は妙法蓮

華経是なり、一乗の崇重三国の繁昌の儀眼前に流る誰か疑網を貽さんや、而るに専ら正路に背いて偏に邪途を行

ず然る間聖人国を捨て善神瞋を成し七難並びに起つて四海閑かならず、方今世は悉く関東に帰し人は皆士風を貴

ぶ、就中日蓮生を此の土に得て豈吾が国を思わざらんや、仍つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時宿屋

の入道を以て見参に入れ畢んぬ、而るに近年の間、多日の程犬戎浪を乱し夷敵国を伺う、先年勘え申す所近日符

合せしむる者なり、彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり

、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり、夫れ未萠を知る者は六正

の聖臣なり法華を弘むる者は諸仏の使者なり、而るに日蓮忝くも鷲嶺鶴林の文を開いて鵝王烏瑟の志を覚り剰え

将来を勘えたるに粗符合することを得たり先哲に及ばずと雖も定んで後人には希なる可き者なり、法を知り国を

思うの志尤も賞せらる可きの処邪法邪教の輩讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず、剰え

不快の見参に罷り入ること偏に難治の次第を愁うる者なり、伏して惟みれば泰山に昇らずんば天の高きを知らず

深谷に入らずんば地の厚きを知らず、仍て御存知の為に立正安国論一巻之を進覧す、勘え載する所の文は九牛の

一毛なり未だ微志を尽さざるのみ、抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らし

て須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述べず

P0184

君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり、恐恐謹言。

= 文永八年九月十二日

                          日蓮花押

%  謹上 平左衛門殿