下山御消息

下山御消息 /建治三年六月 五十六歳御代作

+        与下山兵庫光基

 例時に於ては尤も阿弥陀経を読まる可きか等云云此の事は仰せ候はぬ已前より親父の代官といひ私の計と申し

此の四五年が間は退転無し、例時には阿弥陀経を読み奉り候しが去年の春の末へ夏の始めより阿弥陀経を止めて

一向に法華経の内自我偈読誦し候又同くば一部を読み奉らむとはげみ候これ又偏に現当の御祈祷の為なり、但し

阿弥陀経念仏を止めて候事は此れ日比日本国に聞へさせ給う日蓮聖人去る文永十一年の夏の比同じき甲州飯野御

牧波木井の郷の内身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給い候へば、さるべき人人御法門承わる可きの由候へども

御制止ありて入れられずおぼろげの強縁ならではかなひがたく候しに有人見参の候と申し候しかば信じまいらせ

候はんれうには参り候はず、ものの様をも見候はんために閑所より忍びて参り御庵室の後に隠れ人人の御不審に

付きてあらあら御法門とかせ給い候き。

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 法華経と大日経華厳般若深密楞伽阿弥陀経等の経経の勝劣浅深等を先として説き給いしを承り候へば法華経と

阿弥陀経等の勝劣は一重二重のみならず天地雲泥に候けり、譬ば帝釈と猿猴と鳳凰と烏鵲と大山と微塵と日月と

螢炬等の高下勝劣なり、彼彼の経文と法華経とを引き合せてたくらべさせ給いしかば愚人も弁えつ可し白白なり

赤赤なり、されば此の法門は大体人も知れり始めておどろくべきにあらず又仏法を修行する法は必ず経経の大小

権実顕密を弁うべき上よくよく時を知り機を鑑みて申すべき事なり、而るに当世日本国は人毎に阿みだ経並に弥

陀の名号等を本として法華経を忽諸し奉る世間に智者と仰がるる人人我も我も時機を知れり知れりと存ぜられげ

に候へども小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる親族

還つて怨敵と成るが如し難治の次第なり、又仏法には賢なる様なる人なれども時に依り機に依り国に依り先後の

弘通に依る事を弁へざれば身心を苦めて修行すれども験なき事なり、設い一向に小乗流布の国には大乗をば弘通

する事はあれども一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ事なりしゐてこれを弘通すれば国もわづらひ人も悪

道まぬかれがたし、又初心の人には二法を並べて修行せしむる事をゆるさず月氏の習いには一向小乗の寺の者は

王路を行かず一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし井の水河の水同じく飲む事なし何に況や一房に栖みなんや、

されば法華経に初心の一向大乗の寺を仏説き給うに「但大乗経典を受持せんことを楽つて、乃至余経の一偈をも

受けざれ」又云く「又声聞を求むる比丘比丘尼優婆塞優婆夷に親近せざれ」又云く「亦問訊せざれ」等云云、設

い親父たれども一向小乗の寺に住する比丘比丘尼をば一向大乗の寺の子息これを礼拝せず親近せず何に況や其法

を修行せんや大小兼行の寺は後心の菩薩なり。

 今日本国は最初に仏法渡りて候し比大小雑行にて候しが人王四十五代聖武天皇の御宇に唐の揚州竜興寺の鑑真

和尚と申せし人漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給いて有りしが円機未熟とやおぼしけん

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此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず、大唐の終南山の豊徳寺の道宣律師の小乗戒を日本国の三所に建

立せり此れ偏に法華宗の流布すべき方便なり、大乗出現の後には肩を並べて行ぜよとにはあらず例せば儒家の本

師たる孔子老子等の三聖は仏の御使として漢土に遣されて内典の初門に礼楽の文を諸人に教えたりき、止観に経

を引いて云く「我三聖を遣して彼の震旦を化す」等云云、妙楽大師云く「礼楽前に馳せ真道後に啓く」と云云、

仏は大乗の初門に且らく小乗戒を説き給いしかども時すぎぬれば禁めて云く涅槃経に云く「若し人有つて如来は

無常なりと言わん云何んぞ是の人舌堕落せざらん」と等云云、其の後人王第五十代桓武天皇の御宇に伝教大師と

申せし聖人出現せり始めには華厳三論法相倶舎成実律の六宗を習い極め給うのみならず、達磨宗の淵底を探り究

め給ひ剰へいまだ日本国に弘通せざる天台真言の二宗をも尋ね顕わして浅深勝劣を心中に究竟し給へり、去延暦

二十一年正月十九日に桓武皇帝高雄山に行幸なり給い、南都七大寺の長者善議勤操等の十四人を教大師に召し合

せて六宗と法華宗との勝劣を糾明せられしに六宗の碩学宗宗毎に我宗は一代超過の由各各に立て申されしかども

教大師の一言に万事破れ畢んぬ、其の後皇帝重ねて口宣す和気弘世を御使として諌責せられしかば七大寺六宗の

碩学一同に謝表を奉り畢んぬ、一十四人の表に云く「此界の含霊而今而後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済るこ

とを得」云云、教大師云く「二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有

り」又云く「一乗の家には都て権を用いず」又云く「穢食を以て宝器に置くこと無し」又云く「仏世の大羅漢已

に此の呵嘖を被むれり滅後の小蚊虻何ぞ此れに随わざらん」云云、此れ又私の責めにはあらず法華経には「正直

に方便を捨て但無上道を説く」云云涅槃経には「邪見の人」等云云、邪見方便と申すは華厳大日経般若経阿弥陀

経等の四十余年の経経なり、捨とは天台の云く「廃るなり」又云く「謗とは背くなり」正直の初心の行者の法華

経を修行する法は上に挙ぐるところの経経宗宗を抛つて一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候なり、

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而るを初心の行者深位の菩薩の様に彼彼の経経と法華経とを並べて行ずれば不正直の者となる、世間の法にも賢

人は二君に仕へず貞女は両夫に嫁がずと申す是なり、又私に異議を申すべきにあらず。

 如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間我が法門を弘通すべき人人並に経

経を一一にきりあてられて候、而るに此を背く人世に出来せば設い智者賢王なりとも用うべからず、所謂我が滅

後の次の日より正法五百年の間は一向小乗経を弘通すべし迦葉阿難乃至富那奢等の十余人なり、後の五百年には

権大乗経の内華厳方等深密般若大日経観経阿みだ経等を弥勒菩薩文殊師利菩薩馬鳴菩薩竜樹菩薩無著菩薩天親菩

薩等の四依の大菩薩等の大論師弘通すべしと云云、此れ等の大論師は法華経の深義を知し食さざるにあらず然而

法華経流布の時も来らざる上釈尊よりも仰せ付けられざる大法なれば心には存じて口に宣べ給はず或時は粗口に

囀る様なれども実義をば一向に隠して演べ給はず、像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土日本に渡り

来る世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の半分迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩末

法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給う

べき先序のためなり、所謂迹門弘通の衆は南岳天台妙楽伝教等是なり、今の時は世すでに上行菩薩等の御出現の

時剋に相当れり、而るに余愚眼を以てこれを見るに先相すでにあらはれたるか、而るに諸宗所依の華厳大日阿み

だ経等は其の流布の時を論ずれば正法一千年の内後の五百年乃至像法の始めの諍論の経経なり、而るに人師等経

経の浅深勝劣等に迷惑するのみならず仏の譲り状をもわすれ時機をも勘へず猥りに宗宗を構え像末の行となせり

、例せば白田に種を下だして玄冬に穀をもとめ下弦に満月を期し夜中に日輪を尋ぬる如し、何に況や律宗なんど

申す宗は一向小乗なり月氏には正法一千年の前の五百年の小法又日本国にては像法の中比法華経天台宗の流布す

べき前に且らく機を調養せむがためなり、例せば日出でんとて明星前に立ち雨下らむとて雲先おこるが如し、

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日出雨下て後の星雲はなにかせん而るに今は時過ぬ又末法に入りて之を修行せば重病に軽薬を授け大石を小船に

載するが如し修行せば身は苦く暇は入りて験なく華のみ開きて菓なからん、故に教大師像法の末に出現して法華

経の迹門の戒定慧の三が内其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時二百五十戒忽に捨て畢んぬ、随つて又鑑真

の末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ、其の授戒の書

を見る可し分明なり。

 而るを今邪智の持斎の法師等昔し捨てし小乗経を取り出して一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有

つて公家武家を誑惑して国師とののしる剰我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる、例せば狗犬が師子を

吠え猿猴が帝釈をあなづるが如し、今の律宗の法師原は世間の人人には持戒実語の者の様には見ゆれども其の実

を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗

小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二年の後方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五

百年は一向小乗の寺なり此れ亦一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半に鑑真和尚大

乗の手習とし給う教大師彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりことし宗をば失うべしといへども後に事の由を

知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたすけをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本

より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼弱なる故に漸

漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は

当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は

又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失い抜目

鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提是なり、

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涅槃経に云く「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人も悉く復涅槃せん正法滅して後像法の中に於いて当に比丘有る

べし、持律に似像し少く経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん、乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細視徐行

するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し内には貪嫉を懐き唖法を受けたる婆羅門等の如く実に沙門に非

ずして沙門の像を現し邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、此の経文に世尊未来を記し置き給う。抑釈尊は

我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり、一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑み給いて記

し置き給う記文に云く「我涅槃の後無量百歳」云云仏滅後二千年已後と見へぬ、又「四道の聖人悉く復涅槃せん

」云云、付法蔵の二十四人を指すか、「正法滅後」等云云像末の世と聞えたり、「当に比丘有るべし持律に似像

し」等云云今末法の代に比丘の似像を撰び出さば日本国には誰の人をか引き出して大覚世尊をば不妄語の人とし

奉るべき、俗男俗女比丘尼をば此の経文に載たる事なし但比丘計なり比丘は日本国に数を知らず、然るに其の中

に三衣一鉢を身に帯せねば似像と定めがたし唯持斎の法師計相似たり一切の持斎の中には次下の文に持律ととけ

り律宗より外は又脱ぬ、次下の文に「少し経を読誦す」云云相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば誰を指し出だ

し経文をたすけ奉るべき、次下の文に「猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し内に

は貪嫉を懐く」等云云両火房にあらずば誰をか三衣一鉢の猟師伺猫として仏説を信ず可し、哀れなるかな当時の

俗男俗女比丘尼等檀那等が山の鹿家の鼠となりて猟師猫に似たる両火房に伺われたぼらかされて今生には守護国

土の天照太神正八幡等にすてられ他国の兵軍にやぶられて猫の鼠を捺え取るが如く猟師の鹿を射死が如し、俗男

武士等は射伏切伏られ俗女は捺え取られて他国へおもむかん王昭君楊貴妃が如くになりて後生には無間大城に一

人もなく趣くべし。

 而るを余此の事を見る故に彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に両火房内内諸方に讒言を企てて余

が口を塞がんとはげみしなり、

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又経に云く「汝を供養する者は三悪道に堕つ」等云云、在世の阿羅漢を供養せし人尚三悪道まぬかれがたし、何

に況や滅後の誑惑の小律の法師原をや、小戒の大科をばこれを以て知んぬ可し、或は又驢乳にも譬えたり還つて

糞となる、或は狗犬にも譬えたり大乗の人の糞を食す、或は金ヒ或は瓦礫と云云、然れば時を弁へず機をしらず

して小乗戒を持たば大乗の障となる、破れば又必ず悪果を招く其の上今の人人小律の者どもは大乗戒を小乗戒に

盗み入れ驢乳は牛乳を入れて大乗の人をあざむく、大偸盗の者大謗法の者其のとがを論ずれば提婆達多も肩を並

べがたく 瞿伽利尊者が足も及ばざる閻浮第一の大悪人なり帰依せん国土安穏なるべしや、余此の事を見るに自

身だにも弁へなばさでこそあるべきに日本国に智者とおぼしき人人一人も知らず国すでにやぶれなんとす、其の

上仏の諌暁を重んずる上一分の慈悲にもよをされて国に代りて身命を捨て申せども国主等彼にたぼらかされて用

ゆる人一人もなし譬へば熱鉄に冷水を投げ睡眠の師子に手を触るが如し、爰に両火房と申す法師あり身には三衣

を皮の如くはなつ事なし、一鉢は両眼をまほるが如し二百五十戒堅く持ち三千の威儀をととのへたり、世間の無

智の道俗国主よりはじめて万民にいたるまで地蔵尊者の伽羅陀山より出現せるか迦葉尊者の霊山より下来するか

と疑ふ、余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三

の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う処に

両火房常に高座にして歎いて云く「日本国の僧尼には二百五十戒五百戒男女には五戒八斎戒等を一同に持たせん

とおもうに、日蓮が此の願の障りとなる」と云云、余案じて云く「現証に付て事を切らんと思う処に、彼常に雨

を心に任せて下す由披露あり、古へも又雨を以て得失をあらはす例これ多し、所謂伝教大師と護命と守敏と弘法

と等なり、此に両火房上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたり」と云云、此に両火房祈雨あり去る文永八年六

月十八日より二十四日なり、此に使を極楽寺へ遣す年来の御歎きこれなり

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「七日が間に若一雨も下らば御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなり

けりと申すべし余だにも帰伏し奉らば我弟子等をはじめて日本国大体かたぶき候なん」と云云、七日が間に三度

の使をつかはす、然れどもいかんがしたりけむ一雨も下らざるの上、頽風ヒ風旋風暴風等の八風十二時にやむ事

なし剰二七日まで一雨も下らず風もやむ事なし、されば此の事は何事ぞ和泉式部と云いし色好み能因法師と申せ

し無戒の者此は彼の両火房がいむところの三十一文字ぞかし、彼の月氏の大盗賊南無仏と称せしかば天頭を得た

り、彼の両火房並に諸僧等の二百五十戒真言法華の小法大法の数百人の仏法の霊験いかなれば婬女等の誑言大盗

人が称仏には劣らんとあやしき事なり、此れを以て彼等が大科をばしらるべきにさはなくして還つて讒言をもち

ゐらるるは実とはおぼへず所詮日本国亡国となるべき期来るか、又祈雨の事はたとひ雨下らせりとも雨の形貌を

以て祈る者の賢不賢を知る事あり雨種種なり或は天雨或は竜雨或は修羅雨或は雨或は甘雨或は雷雨等あり、今

の祈雨は都て一雨も下らざる上二七日が間前よりはるかに超過せる大旱魃大悪風十二時に止む事なし、両火房真

の人ならば忽に邪見をもひるがへし跡をも山林にかくすべきに其の義なくして面を弟子檀那等にさらす上剰讒言

を企て日蓮が頚をきらせまいらせんと申し上あづかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり、

而るを無智の檀那等は恃怙して現世には国をやぶり後生には無間地獄に堕ちなん事の不便さよ、起世経に云く「

諸の衆生有りて放逸を為し清浄の行を汚す故に天雨を下さず」又云く「不如法あり慳貪嫉妬邪見顛倒なる故に天

則ち雨を下さず」又経律異相に云く「五事有て雨無し一二三之を略す四には雨師婬乱五には国王理をもつて治め

ず雨師瞋る故に雨ふらず」云云、此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一に

は名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱な

るか此の五にはすぐべからず、又此の経は両火房一人には限るべからず昔をかがみ今を

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もしれ、弘法大師の祈雨の時二七日の間一雨も下らざりしもあやしき事なり、而るを誑惑の心強盛なりし人なれ

ば天子の御祈雨の雨を盗み取て我が雨と云云、善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵の祈雨の時も小雨は下たりしかど

も三師共に大風連連と吹いて勅使をつけてをはれしあさましさと、天台大師伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨

を下らして小風も吹かざりしもたとくぞおぼゆるおぼゆる。

 法華経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、乃至利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に

恭敬せらるること六通の羅漢の如きもの有らん」又云く「常に大衆の中に在て我等を毀らんと欲するが故に国王

大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説き乃至悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」、又

云く「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」等云云、涅槃経に

云く「一闡提有つて羅漢の像を作し空処に住し方等大乗経典を誹謗す諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是れ大菩

薩なりと謂えり」等云云、今予法華経と涅槃経との仏鏡をもつて当時の日本国を浮べて其影をみるに誰の僧か国

主に六通の羅漢の如くたとまれて而も法華経の行者を讒言して頚をきらせんとせし、又いづれの僧か万民に大菩

薩とあをがれたる、誰の智者か法華経の故に度度処処を追はれ頚をきられ弟子を殺され両度まで流罪せられて最

後に頚に及ばんとせし、眼無く耳無きの人は除く眼有り耳有らん人は経文を見聞せよ、今の人人は人毎とに経文

を我もよむ我も信じたりといふ只にくむところは日蓮計なり経文を信ずるならば慥にのせたる強敵を取出して経

文を信じてよむしるしとせよ、若し爾らずんば経文の如く読誦する日蓮をいかれるは経文をいかれるにあらずや

仏の使をかろしむるなり、今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば釈尊は大妄語の仏多宝十方の諸仏は

不実の証明なり、又経文まことならば御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ国は他の有となり後生には

阿鼻地獄疑なし、而るに彼等が大悪法を尊まるる故に理不尽の政道出来す彼の国主の僻見の心を推するに

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日蓮は阿弥陀仏の怨敵父母の建立の堂塔の讎敵なれば仮令政道をまげたりとも仏意には背かじ天神もゆるし給う

べしとをもはるるか、はかなしはかなし委細にかたるべけれども此れは小事なれば申さず心有らん者推して知ん

ぬべし、上に書挙るより雲泥大事なる日本第一の大科此の国に出来して年久くなる間、此の国既に梵釈日月四天

大王等の諸天にも捨てられ守護の諸大善神も還つて大怨敵となり法華経守護の梵帝等鄰国の聖人に仰せ付けて日

本国を治罰し仏前の誓状を遂げんとおぼしめす事あり。

 夫れ正像の古へは世濁世に入るといへども始めなりしかば国土さしも乱れず聖賢も間間出現し福徳の王臣も絶

えざりしかば政道も曲る事なし万民も直かりし故に小科を対治せんがために三皇五帝三王三聖等出現して墳典を

作りて代を治す、世しばらく治りたりしかども漸漸にすへになるままに聖賢も出現せず福徳の人もすくなければ

三災は多大にして七難先代に超過せしかば外典及びがたし、其の時治を代えて内典を用いて世を治す随つて世且

くはおさまるされども又世末になるままに人の悪は日日に増長し政道は月月に衰減するかの故に又三災七難先よ

りいよいよ増長して小乗戒等の力験なかりしかば其の時治をかへて小乗の戒等を止めて大乗を用ゆ、大乗又叶わ

ねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治めたり、所謂伝教大師日本三所の小乗戒並に華厳三論法相の

三大乗戒を破失せし是なり、此の大師は六宗をせめ落させ給うのみならず禅宗をも習い極め剰え日本国にいまだ

ひろまらざりし法華宗真言宗をも勘え出して勝劣鏡をかけ顕密の差別黒白なり、然れども世間の疑を散じがたか

りしかば去る延暦年中に御入唐漢土の人人も他事には賢かりしかども法華経大日経天台真言の二宗の勝劣浅深は

分明に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後本の御存知の如く妙楽大師の記の十の不空三蔵の改悔の言を含光がか

たりしを引き載せて天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定め給う剰え真言宗の宗の一字を削り給う、其の故は善

無畏金剛智不空の三人一行阿闍梨をたぼらかして本はなき大日経に天台の己証の一念三千の法門を盗み入れて

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人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者なりと心得給へり、例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳に盗

み入れて還つて天台宗を末教と下せしが如しと御存知あて宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云、而る

を弘法大師と申し天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後対論なくして公家をかすめたてまつりて

八宗と申し立てぬ、然れども本師の跡を紹継する人人は叡山は唯七宗にてこそあるべきに教大師の第三の弟子慈

覚大師と叡山第一の座主義真和尚の末弟子智証大師と此の二人は漢土に渡り給いし時日本国にて一国の大事と諍

論せし事なれば天台真言の碩学等に値い給う毎に勝劣浅深を尋ね給う、然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ

或は天台宗勝れ或は二宗斉等し或は理同事異といへども倶に慥の証文をば出さず、二宗の学者等併しながら胸臆

の言なり然るに慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり所謂金剛頂経の疏七巻蘇悉地経の疏七巻なり

此の疏の体たらくは法華経と大日経の三部経とは理は同く事は異なり等云云、此の疏の心は大日経の疏と義釈と

の心を出すがなを不審あきらめがたかりけるかの故に本尊の御前に疏を指し置て此の疏仏意に叶へりやいなやと

祈せいせし処に夢に日輪を射ると云云、うちをどろきて吉夢なり真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下

す日本国に弘通せんとし給いしがほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ、而るに智証大師

は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給う所謂真言法華斉等なり譬ば鳥の二の翼人

の両目の如し又叡山も八宗なるべしと云云、此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども心は東寺里中の塵に

まじはる本師の遺跡を紹継する様にて還つて聖人の正義を忽諸し給へり、法華経の於諸経中最在其上の上の字を

うちかへして大日経の下に置き先づ大師の怨敵となるのみならず存外に釈迦多宝十方分身大日如来等の諸仏の讎

敵となり給う、されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是なり仏法の大科此れよりはじまる日本国亡国となる

べき先兆なり、棟梁たる法華経既に大日経の椽梠となりぬ、

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王法も下剋上して王位も臣下に随うべかりしを其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上座主も両方

を兼ねて事いまだきれざりしかば世も忽にほろびず有りけるか、例せば外典に云く「大国には諍臣七人中国には

五人小国には三人諍論すれば仮令政道に謬誤出来すれども国破れず乃至家に諌子あれば不義におちず」と申すが

如し仏家も又是くの如し、天台真言の勝劣浅深事きれざりしかば少少の災難は出来せしかども青天にも捨てられ

ず黄地にも犯されず一国の内の事にてありし程に人王七十七代後白河の法皇の御宇に当りて天台座主明雲伝教大

師の止観院の法華経の三部を捨てて慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う、天台山は名計りにて真言の山

になり法華経の所領は大日経の地となる天台と真言と座主と大衆と敵対あるべき序なり、国又王と臣と諍論して

王は臣に随うべき序なり一国乱れて他国に破らるべき序なり、然れば明雲は義仲に殺されて院も清盛にしたがひ

られ給う、然れども公家も叡山も共に此の故としらずして世静ならずすぐる程に災難次第に増長して人王八十二

代隠岐の法皇の御宇に至つて一災起れば二災起ると申して禅宗念仏宗起り合いぬ、善導房は法華経は末代には千

中無一とかき、法然は捨閉閣抛と云云、禅宗は法華経を失はんがために教外別伝不立文字とののしる、此の三の

大悪法鼻を並べて一国に出現せしが故に此の国すでに梵釈二天日月四王に捨てられ奉り守護の善神も還つて大怨

敵とならせ給う然れば相伝の所従に責随えられて主上上皇共に夷島に放たれ給い御返りなくしてむなしき島の塵

となり給う詮ずる所は実経の所領を奪い取りて権経たる真言の知行となせし上日本国の万民等禅宗念仏宗の悪法

を用いし故に天下第一先代未聞の下剋上出来せり而るに相州は謗法の人ならぬ上文武きはめ尽せし人なれば天許

し国主となす随つて世且く静なりき、然而又先に王法を失いし真言漸く関東に落ち下る存外に崇重せらるる故に

鎌倉又還つて大謗法一闡提の官僧禅僧念仏僧の檀那と成りて新寺を建立して旧寺を捨つる故に天神は眼を瞋らし

て此の国を睨め地神は憤を含めて身を震ふ長星は一天に覆ひ地震は四海を動かす余此等の災夭に驚いて

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粗内典五千七千外典三千等を引き見るに先代にも希なる天変地夭なり、然而儒者の家には記せざれば知る事なし

仏法は自迷なればこころへず此の災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず定めて仏法より事起

るかと勘へなしぬ、先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもな

く御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那

等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんが

したりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る日

蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもか

へりみざるか御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈四天天照太神正八幡等を書きのせたてまつる、余存外

の法門を申さば子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて其れになを事ゆかずば漢土月氏まで

も尋ねらるべし、其れに叶わずば子細ありなんとて且くまたるべし、子細も弁えぬ人人が身のほろぶべきを指を

きて大事の起請を破らるる事心へられず。

 自讃には似たれども本文に任せて申す余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり、

一には父母なり二には師匠なり三には主君の御使なり、経に云く「即如来の使なり」と又云く「眼目なり」と又

云く「日月なり」と章安大師の云く「彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり」等云云、而るに謗法一闡提国敵の

法師原が讒言を用いて其義を弁えず左右なく大事たる政道を曲げらるるはわざとわざはひをまねかるるか墓無し

墓無し、然るに事しづまりぬれば科なき事は恥かしきかの故にほどなく召返されしかども故最明寺の入道殿も又

早くかくれさせ給いぬ、当御時に成りて或は身に疵をかふり或は弟子を殺され或は所所を追れ或はやどをせめし

かば一日片時も地上に栖むべき便りなし、是に付けても仏は一切世間多怨難信と説き置き給う諸の菩薩は

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我不愛身命但惜無上道と誓へり、加刀杖瓦石数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば法華経一

部よみまいらせたるにこそとおもひきりてわざと不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に竜樹菩薩提婆菩薩仏陀密多師子

尊者の如く弥強盛に申しはる、今度法華経の大怨敵を見て経文の如く父母師匠朝敵宿世の敵の如く散散に責るな

らば定めて万人もいかり国主も讒言を収て流罪し頚にも及ばんずらん、其時仏前にして誓状せし梵釈日月四天の

願をもはたさせたてまつり法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと起請せしを身にあてて心みん、釈尊

多宝十方分身の諸仏の或は共に宿し或は衣を覆はれ或は守護せんとねんごろに説かせ給いしをも実か虚言かと知

つて信心をも増長せんと退転なくはげみし程に案にたがはず去る文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして

佐土の国へ流罪せらる、外には遠流と聞えしかども内には頚を切ると定めぬ余又兼て此の事を推せし故に弟子に

向つて云く我が願既に遂ぬ悦び身に余れり人身は受けがたくして破れやすし、過去遠遠劫より由なき事には失い

しかども法華経のために命をすてたる事はなし、我頚を刎られて師子尊者が絶えたる跡を継ぎ天台伝教の功にも

超へ付法蔵の二十五人に一を加えて二十六人となり不軽菩薩の行にも越えて釈迦多宝十方の諸仏にいかがせんと

なげかせまいらせんと思いし故に言をもおしまず已前にありし事後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ此

の語しげければ委細にはかかず。

 抑も日本国の主となりて万事を心に任せ給へり何事も両方を召し合せてこそ勝負を決し御成敗をなす人のいか

なれば日蓮一人に限つて諸僧等に召合せずして大科に行わるるらん是れ偏にただ事にあらずたとひ日蓮は大科の

者なりとも国は安穏なるべからず、御式目を見るに五十一箇条を立てて終りに起請文を書載せたり、第一第二は

神事仏事乃至五十一等云云、神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を讒人等に召合せられずして彼等が申

すままに頚に及ぶ然れば他事の中にも此の起請文に相違する政道は有るらめども此れは第一の大事なり、

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日蓮がにくさに国をかへ身を失はんとせらるるか魯の哀公が忘事の第一なる事を記せらるるには移宅に妻をわす

ると云云、孔子の云く身をわするる者あり国主と成りて政道を曲ぐるなり是云云、将又国主は此の事を委細には

知らせ給はざるか、いかに知らせ給はずとのべらるるとも法華経の大怨敵と成給いぬる重科は脱るべしや、多宝

十方の諸仏の御前にして教主釈尊の申す口として末代当世の事を説かせ給いしかば諸の菩薩記して云く「悪鬼其

の身に入つて我を罵詈毀辱せん、乃至数数擯出せられん」等云云、又四仏釈尊の所説の最勝王経に云く「悪人を

愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来つて国人喪乱に遭わん」等云云、たとい日蓮をば軽賎せ

させ給うとも教主釈尊の金言多宝十方の諸仏の証明は空かるべからず一切の真言師禅宗念仏者等の謗法の悪比丘

をば前より御帰依ありしかども其の大科を知らせ給はねば少し天も許し善神もすてざりけるにや、而るを日蓮が

出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられ

ざるだにも不思議なるに剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり、然れば大悪人を用いる大科正法の大善人を

耻辱する大罪二悪鼻を並べて此の国に出現せり、譬ば修羅を恭敬し日天を射奉るが如し故に前代未聞の大事此の

国に起るなり、是又先例なきにあらず夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね殷の紂王は比干が胸をさき二世王は李斯を殺し

優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し檀弥羅王は師子尊者の頚をきる武王は慧遠法師と諍論し憲宗王は白居易を遠流し

徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす、此等は皆諌暁を用いざるのみならず還つて怨を成せし人人現世には国を

亡し身を失ひ後生には悪道に堕つ是れ又人をあなづり讒言を納れて理を尽さざりし故なり、而るに去る文永十一

年二月に佐土の国より召返されて同四月の八日に平金吾に対面して有りし時理不尽の御勘気の由委細に申し含め

ぬ、又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば金吾が云く何の比か大蒙古は寄

せ候べきと問いしかば経文には分明に年月を指したる事はなけれども天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此の

国を睨みさせ給うか

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今年は一定寄せぬと覚ふ若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず此れ又天の責なり、日蓮をばわどのば

ら(和殿原)が用いぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢真言師等に調伏行わせ給うべからず若し行わするほどならい

よいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報

ぜんがために三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ

用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ、其の上は国主の用い給はざらんに其れ已下に法門申

して何かせん申したりとも国もたすかるまじ人も又仏になるべしともおぼへず。

 又念仏無間地獄阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の

五十余年の説法の内前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり、然れども如来の金言なれば定めて真実

にてこそあるらめと信ずる処に後八年の法華経の序分たる無量義経に仏法華経を説かせ給はんために先づ四十余

年の経経並に年紀等を具に数へあげて未顕真実乃至終不得成無上菩提と若干の経経並に法門を唯一言に打ち消し

給う事譬えば大水の小火をけし大風の衆の草木の露を落すが如し、然後に正宗の法華経の第一巻に至つて世尊法

久後要当説真実又云く正直捨方便但説無上道と説き給う譬へば闇夜に大月輪の出現し大塔立て後足代を切り捨つ

るが如し、然後実義を定めて云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此

の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す、復教詔すと雖も而も信受せず、乃至経を読誦し書き持つこと

有らん者を見て軽賎憎嫉して而も結恨を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、経文の次第普通の性

相の法には似ず常には五逆七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に此れはさにては候はず在世滅後の一切衆生阿

弥陀経等の四十余年の経経を堅く執して法華経へうつらざらんとたとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼

の経経を法華経に並て修行せん人と又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と法華経を法の如く修行すとも

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法華経の行者を恥辱せん者と此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり、此の事はただ

釈迦一仏の仰なりとも、外道にあらずば疑うべきにてはあらねども已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあら

はさんがために宝浄世界の多宝如来は自はるばる来給いて証人とならせ給う、釈迦如来の先判たる大日経阿弥陀

経念仏等を堅く執して後の法華経へ入らざらむ人人は入阿鼻獄は一定なりと証明し、又阿弥陀仏等の十方の諸仏

は各各の国国を捨てて霊山虚空会に詣で給い宝樹下に坐して広長舌を出し大梵天に付け給うこと無量無辺の虹の

虚空に立ちたらんが如し、心は四十余年の中の観経阿弥陀経悲華経等に法蔵比丘の諸菩薩四十八願等を発して凡

夫を九品の浄土へ来迎せんと説く事は且く法華経已前のやすめ言なり、実には彼れ彼れの経経の文の如く十方西

方への来迎はあるべからず実とおもふことなかれ釈迦仏の今説き給うが如し実には釈迦多宝十方の諸仏寿量品の

肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり、我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり

釈迦仏は天月の如し我等は水中の影の月なり釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり天月動き給はずば我等もうつる

べからず此の土に居住して法華経の行者を守護せん事臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く父母の一子を愛するが如く

ならんと出し給う舌なり、其の時阿弥陀仏の一二の弟子観音勢至等は阿弥陀仏の塩梅なり雙翼なり左右の臣なり

両目の如し、然而極楽世界よりはるばると御供し奉りたりしが無量義経の時仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕

真実乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は真実ならずと説き給いしかば実とも覚へざりしに阿弥

陀仏正く来りて合点し給いしをうち見てさては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しか

りけりと聞定めてさては我等も本土に還りて何かせんとて八万二万の菩薩のうちに入り或は観音品に遊於娑婆世

界と申して此の土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内南方補陀落

山と申す小所を釈迦仏より給いて宿所と定め給ふ、

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阿弥陀仏は左右の臣下たる観音勢至に捨てられて西方世界へは還り給はず此の世界に留りて法華経の行者を守護

せんとありしかば此の世界の内欲界第四の兜率天弥勒菩薩の所領の内四十九院の一院を給いて阿弥陀院と額を打

つておはするとこそうけ給はれ、其の上阿弥陀経には仏舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ、舎利弗

舎利弗又舎利弗と二十余処までいくばくもなき経によび給いしはかまびすしかりし事ぞかし、然れども四紙の一

巻が内すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず法華経に来りてこそ始て華光如来光明如来とは記せられ給い

しか一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる、まして末代の牛羊の如くな

る男女彼彼の経経にて生死を離れなんや、此の由を弁へざる末代の学者等並に法華経を修行する初心の人人かた

じけなく阿弥陀経を読み念仏を申して或は法華経に鼻を並べ、或は後に此れを読みて法華経の肝心とし功徳を阿

弥陀経等にあつらへて西方へ回向し往生せんと思ふは譬へば飛竜が驢馬を乗物とし師子が野干をたのみたるか将

又日輪出現の後の衆星の光大雨の盛時の小露なり、故に教大師云く「白牛を賜う朝には三車を用いず、家業を得

る夕に何ぞ除糞を須いん」、故に経に云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」又云く「日出でぬれば星隠れ巧

を見て拙を知る」と云云、法華経出現の後は已今当の諸経の捨てらるる事は勿論なりたとひ修行すとも法華経の

所従にてこそあるべきに今の日本国の人人道綽が未有一人得者善導が千中無一慧心が往生要集の序永観が十因法

然が捨閉閣抛等を堅く信じて或は法華経を抛ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経

を持つ者もあり或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり或は念仏と法華経と一

法の二名なりと思いて行ずる者もあり、此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して師主をば指し置き奉りて阿弥

陀堂を釈迦如来の御所領の内に国毎に郷毎に家家毎に並べ立て或は一万二万或は七万返或は一生の間一向に修行

して主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生後入滅の両日を奪い取りて、十五日

は阿弥陀仏の日

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八日は薬師仏の日等云云、一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり是豈に不孝の者にあらずや逆路七逆の

者にあらずや、人毎に此の重科有りてしかも人毎に我が身は科なしとおもへり無慚無愧の一闡提人なり、法華経

の第二の巻に主と親と師との三大事を説き給へり一経の肝心ぞかし、其の経文に云く「今此の三界は皆是れ我有

なり其中の衆生は悉く是れ吾が子なり、而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す」等云云、又

此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云

、されば念仏者が本師の導公は其中衆生の外か唯我一人の経文を破りて千中無一といいし故に現身に狂人と成り

て楊柳に登りて身を投げ堅土に落ちて死にかねて十四日より二十七日まで十四日が間顛倒狂死し畢んぬ、又真言

宗の元祖善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等は親父を兼ねたる教主釈尊法王を立下て大日 他仏をあがめし故に善

無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず又無間地獄に堕ちぬ、汝等此の事疑あらば眼前に閻魔堂の画を見

よ、金剛智不空の事はしげければかかず、又禅宗の三階信行禅師は法華経等の一代聖教をば別教と下だす我が作

れる経をば普経と崇重せし故に四依の大士の如くなりしかども法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失ひ現

身に大蛇となり数十人の弟子を呑み食う。

 今日本国の人人はたとひ法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも真言宗禅宗念仏者をあがむるならば無間地

獄はまぬがれがたし、何に況や三宗の者共を日月の如く渇仰し我が身にも念仏を事とせむ者をや心あらん人人は

念仏阿弥陀経等をば父母師君宿世の敵よりもいむべきものなり、例せば逆臣が旗をば官兵は指す事なし寒食の祭

には火をいむぞかし、されば古への論師天親菩薩は小乗経を舌の上に置かじと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は法華

経をだに読み給はず、此等はもと小乗経を以て大乗経を破失し法華経を以て天台大師を毀謗し奉りし謗法の重罪

を消滅せんがためなり、今日本国の人人は一人もなく不軽軽毀の如く苦岸勝意等の如く一国万人皆無間地獄に堕

つべき人人ぞかし、

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仏の涅槃経に記して末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記し給いし是なり、而に今法華経

の行者出現せば一国万人皆法華経の読誦を止めて吉蔵大師の天台大師に随うが如く身を肉橋となし不軽軽毀の還

つて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕うるとも、一日二日一月二月一年二年一生二生が間には法華経誹謗の重罪

は尚なをし滅しがたかるべきに其の義はなくして当世の人人は四衆倶に一慢をおこせり、所謂念仏者は法華経を

捨てて念仏を申す日蓮は法華経を持といへども念仏を持たず我等は念仏を持ち法華経をも信ず戒をも持ち一切の

善を行ず等云云、此等は野兎が跡を隠し金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり善星が仏ををどせしにこと

ならず鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり、墓無し墓無し、当時は予が古へ申せし事の漸く合かの故に心中に

は如何せんとは思ふらめども年来あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が忽に翻がたくて信ずる由をせず、而も

蒙古はつよりゆく、如何せんと宗盛義朝が様になげくなり、あはれ人は心はあるべきものかな孔子は九思一言周

公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度吐給う賢人は此の如く用意をなすなり世間の法にもはふにすぎばあ

やしめといふぞかし、国を治する人なんどが人の申せばとて委細にも尋ねずして左右なく科に行はれしはあはれ

くやしかるらんに夏の桀王が湯王に責められ呉王が越王に生けどりにせられし時は賢者の諌暁を用いざりし事を

悔ひ阿闍世王が悪瘡身に出で他国に襲はれし時は提婆を眼に見じ耳に聞かじと誓い、乃至宗盛がいくさにまけ義

経に生けどられて鎌倉に下されて面をさらせし時は東大寺を焼き払はせ山王の御輿を射奉りし事を歎きしなり、

今の世も又一分もたがふべからず日蓮を賎み諸僧を貴び給う故に自然に法華経の強敵となり給う事を弁へず、政

道に背きて行はるる間梵釈日月四天竜王等の大怨敵となり給う、法華経守護の釈迦多宝十方分身の諸仏地涌千界

迹化他方二聖二天十羅刹女鬼子母神他国の賢王の身に入り代りて国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず、真

の天のせめにてだにもあるならば

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たとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも法

華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に

ミたりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ日本守護の天照太神正八幡等もいかでかかかる国をば

たすけ給うべきいそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめをそく科に行う間日本国の諸神

ども四天大王にいましめられてやあるらん知り難き事なり教大師云く「竊に以れば菩薩は国の宝なること法華経

に載せ大乗の利他は摩訶衍の説なり弥天の七難は大乗経に非ずんば何を以てか除くことを為ん、未然の大災は菩

薩僧に非ずんば豈冥滅することを得んや」等云云、而るを今大蒙古国を調伏する公家武家の日記を見るに或は五

大尊或は七仏薬師或は仏眼或は金輪等云云、此れ等の小法は大災を消すべしや還著於本人と成りて国忽に亡びな

んとす、或は日吉の社にして法華の護摩を行うといへども不空三蔵がワれる法を本として行う間祈祷の儀にあら

ず、又今の高僧等は或は東寺の真言或は天台の真言なり東寺は弘法大師天台は慈覚智証なり、此の三人は上に申

すが如く大謗法の人人なり、其れより已外の諸僧等は或は東大寺の戒壇の小乗の者なり、叡山の円頓戒は又慈覚

の謗法に曲げられぬ彼の円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にあらず旁叶うべき事にはあらず、只今国土やぶ

れなん後悔さきにたたじ不便不便と語り給いしを千万が一を書き付けて参らせ候。

 但し身も下賎に生れ心も愚に候へば此の事は道理かとは承わり候へども国主も御用いなきかの故に鎌倉にては

如何が候けん不審に覚え候、返す返すも愚意に存じ候はこれ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして両度の御

勘気には行はれけるやらんと聞食しほどかせ給はぬ人人の或は道理とも或は僻事とも仰せあるべき事とは覚え候

はず、又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも併ら御為父母の為にて候、只理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候はば

其の時重ねて申すべく候、いかにも聞食さずしてうしろの推義をなさん人人の仰せをばたとひ身は随う様に候え

ども

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心は一向に用いまいらせ候まじ、又恐れにて候へども兼ねてつみしらせまいらせ候、此の御房は唯一人おはしま

す若しやの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん世間の人人の用いねばとは一旦のをろかの事なり上の御用あ

らん時は誰人か用いざるべきや、其の時は又用いたりとも何かせん人を信じて法を信ぜず、又世間の人人の思い

て候は親には子は是非に随うべしと君臣師弟も此くの如しと此れ等は外典をも弁えず内典をも知らぬ人人の邪推

なり外典の孝経には子父臣君諍うべき段もあり、内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定

め給いぬ、悉達太子は閻浮第一の孝子なり父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干が親父紂王を

諌暁して胸をほられてこそ賢人の名をば流せしか、賎み給うとも小法師が諌暁を用ひ給はずば現当の御歎きなる

べし、此れは親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へばいかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず、恐恐

申し上げ候。

=  建治三年六月 日         僧  日永

%  下山兵庫五郎殿御返事

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