爾前二乗菩薩不作仏事

爾前二乗菩薩不作仏事    /正元元年  三十八歳御作

 問うて云く二乗永不成仏の教に菩薩の作仏を許す可きや、答えて云く楞伽経第二に云く「大慧何者か無性乗な

る、謂く一闡提なり大慧一闡提とは涅槃の性無し何を以ての故に解脱の中に於て信心を生ぜず涅槃に入らず、大

慧一闡提とは二種あり何等をか二と為す一には一切の善根を梵焼す二には一切衆生を憐愍して一切衆生界を尽さ

んとの願を作す大慧云何が一切の善根を梵焼する謂く菩薩蔵を謗じて是くの如きの言を作す、彼の修多羅毘尼解

脱の説に随順するに非ず諸の善根を捨つと是の故に涅槃を得ず、大慧衆生を憐愍して衆生界を尽さんとの願を作

す者是を菩薩と為す、大慧菩薩は方便して願を作す若し諸の衆生の涅槃に入らざる者あらば我も亦涅槃に入らず

と是の故に菩薩摩訶薩涅槃に入らず、大慧是を二種の一闡提無涅槃性と名く是の義を以ての故に決定して一闡提

の行を取る、大慧菩薩仏に白して言く世尊此の二種の一闡提何等の一闡提か常に涅槃に入らざる、仏大慧に告げ

たまわく菩薩摩訶薩の一闡提は常に涅槃に入らず何を以ての故に能善く一切諸法本来涅槃なりと知るを以て是の

故に涅槃に入らず一切の善根を捨つる闡提には非ず、何を以ての故に大慧彼れ一切の善根を捨つる闡提は若し諸

仏善知識等に値いたてまつれば菩提心を発し諸の善根を生じて便ち涅槃を証す」等と云云、此の経文に「若し諸

の衆生涅槃に入らざれば我も亦涅槃に入らじ」等云云。

 前四味の諸経に二乗作仏を許さず之を以て之を思うに四味諸経の四教の菩薩も作仏有り難きか、華厳経に云く

「衆生界尽きざれば我が願も亦尽きず」等と云云、一切の菩薩必ず四弘誓願を発す可し其の中の衆生無辺誓願度

の願之を満せざれば無上菩提誓願証の願又成じ難し、之を以て之を案ずるに四十余年の文二乗に限らば菩薩の願

又成じ難きか。

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 問うて云く二乗成仏之無ければ菩薩の成仏も之無き正き証文如何、答えて云く涅槃経三十六に云く「仏性は是

れ衆生に有りと信ずと雖も必ず一切に皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為す」と[三十六本三十二]、

此の文の如くんば先四味の諸菩薩は皆一闡提の人なり二乗作仏を許さず二乗の作仏を成ぜざるのみに非ず、将又

菩薩の作仏も之を許さざる者なり、之を以て之を思うに四十余年の文二乗作仏を許さずんば菩薩の成仏も又之無

きなり、一乗要決の中に云く「涅槃経三十六に云く仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も必ず一切皆悉く之有らず

是の故に名けて信不具足と為すと[三十六本三十二]、第三十一に説く一切衆生及び一闡提に悉く仏性有りと信

ずるを菩薩の十法の中の第一の信心具足と名くと、[三十六本第三十]、一切衆生悉有仏性を明すは是れ少分に

非ず、若し猶堅く少分の一切なりと執せば唯経に違するのみに非ず亦信不具なり何に因つてか楽つて一闡提と作

るや此れに由つて全分の有性を許すべし理亦一切の成仏を許すべし○」

 慈恩の心経玄賛に云く「大悲の辺に約すれば常に闡提と為る大智の辺に約すれば亦当に作仏すべし、宝公の云

く大悲闡提は是れ前経の所説なり前説を以て後説を難ず可からざるなり諸師の釈意大途之に同じ」文、金ナの註

に云く「境は謂く四諦なり百界三千の生死は即ち苦なり此の生死即ち是れ涅槃なりと達するを衆生無辺誓願度と

名く百界三千に三惑を具足す此の煩悩即ち是れ菩提なりと達するを煩悩無辺誓願断と名く生死即涅槃と円の仏性

を証するは即ち仏道無上誓願成なり、惑即菩提にして般若に非ざること無ければ即ち法門無尽誓願知なり、惑智

無二なれば生仏体同じ苦集唯心なれば四弘融摂す一即一切なりとは斯の言徴有り」文、慈覚大師の速証仏位集に

云く「第一に唯今経の力用仏の下化衆生の願を満す故に世に出でて之を説く所謂諸仏の因位四弘の願利生断惑知

法作仏なり然るに因円果満なれば後の三の願は満ず、利生の一願甚だ満じ難しと為す彼の華厳の力十界皆仏道を

成ずること能わず

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阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず、今此の妙経は十界皆成仏道なること分明なり

彼の達多無間に堕するに天王仏の記を授け竜女成仏し十羅刹女も仏道を悟り阿修羅も成仏の総記を受け人天二乗

三教の菩薩円妙の仏道に入る、経に云く我が昔の所願の如きは今者已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入ら

しむと云云、衆生界尽きざるが故に未だ仏道に入らざる衆生有りと雖も然れども十界皆成仏すること唯今経の力

に在り故に利生の本懐なり」と云云。

 又云く「第一に妙経の大意を明さば諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現し一切衆生悉有仏性と説き聞

法観行皆当に作仏すべし、抑仏何の因縁を以て十界の衆生悉く三因仏性有りと説きたもうや、天親菩薩の仏性論

縁起分の第一に云く如来五種の過失を除き五種の功徳を生ずるが為に故に一切衆生悉有仏性と説きたもう[已上

]謂く五種の過失とは一には下劣心二には高慢心三には虚妄執四には真法を謗じ五には我執を起すなり、五種の

功徳とは一には正勤二には恭敬三には般若四には闍那五には大悲なり、生ずること無しと疑うが故に大菩提心を

発すこと能わざるを下劣心と名け、我に性有つて能く菩提心を発すと謂えるを高慢と名け、一切の法無我の中に

於て有我の執を作すを虚妄執と名け一切諸法の清浄の智慧功徳を違謗するを謗真法と名け意唯己を存して一切衆

生を憐むことを欲せざるを起我執と名く此の五に翻対して定めて性有りと知りて菩提心を発す」と。

                     日 蓮 花押

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