木絵二像開眼之事

木絵二像開眼之事     /文永元年   四十三歳御作

 仏に三十二相有す皆色法なり、最下の千輻輪より終り無見頂相に至るまでの三十一相は可見有対色なれば書き

つべし作りつべし梵音声の一相は不可見無対色なれば書く可らず作る可らず、仏滅後は木画の二像あり是れ三十

一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり、何ぞ

涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや又大瓔珞経には木画の二像は生身の仏には

をとれりととけり、木画の二像の仏の前に経を置けば三十二相具足するなり、但心なければ三十二相を具すれど

も必ず仏にあらず人天も三十二相あるがゆへに、木絵の三十一相の前に五戒経を置けば此の仏は輪王とひとし、

十善論と云うを置けば帝釈とひとし、出欲論と云うを置けば梵王とひとし全く仏にあらず、又木絵二像の前に阿

含経を置けば声聞とひとし、方等般若の一時一会の共般若を置けば縁覚とひとし、華厳方等般若の別円を置けば

菩薩とひとし全く仏に非らず、大日経金剛頂経蘇悉地経等の仏眼大日の印真言は名は仏眼大日といへども其の義

は仏眼大日に非ず、例せば仏も華厳経は円仏には非ず名にはよらず三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれ

ば必ず純円の仏なり云云、故に普賢経に法華経の仏を説て云く「仏の三種の身は方等より生ず」文、是の方等は

方等部の方等に非ず法華を方等といふなり、又云く「此の大乗経は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具す

ることを得る」等云云、法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見有対色のかたちとあらはし

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ぬれば顕形の二色となれるなり、滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり、人の

声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の

思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法声は色法心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る

色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字

変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、故に天

台の釈に云く「請を受けて説く時は只是れ教の意を説く教の意は是れ仏意仏意即是れ仏智なり仏智至て深し是故

に三止四請す、此の如き艱難あり余経に比するに余経は則易し」文此の釈の中に仏意と申すは色法ををさへて心

法といふ釈なり、法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成

仏といへるは是なり、故に天台は「一色一香無非中道」と云云、妙楽是をうけて釈に「然るに亦倶に色香中道を

許せども無情仏性は耳を惑わし心を驚かす」云云、華厳の澄観が天台の一念三千をぬすみて華厳にさしいれ法華

華厳ともに一念三千なり、但し華厳は頓頓さきなれば法華は漸頓のちなれば華厳は根本さきをしぬれば法華は枝

葉等といふて我理をえたりとおもへる意山の如し然りと雖も一念三千の肝心草木成仏を知らざる事を妙楽のわら

ひ給へる事なり、今の天台の学者等我一念三千を得たりと思ふ、然りと雖も法華をもつて或は華厳に同じ或は大

日経に同ず其の義を論ずるに澄観の見を出でず善無畏不空に同ず、詮を以て之を謂わば今の木絵二像を真言師を

以て之を供養すれば実仏に非ずして権仏なり権仏にも非ず形は仏に似たれども意は本の非情の草木なり、又本の

非情の草木にも非ず魔なり鬼なり、真言師が邪義印真言と成つて木絵二像の意と成れるゆへに例せば人の思変じ

て石と成り倶留と黄夫石が如し、法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の

死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者と

いふ

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魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔をたとむゆへに後生

には無間獄に堕す、人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす、餓鬼といふは我をくらふといふ是

なり、智者あつて法華経を讃歎して骨の魂となせば死人の身は人身心は法身生身得忍といへる法門是なり、華厳

方等般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す、涅槃経に身は人身なりと雖も心は仏心に同ずといへ

るは是なり、生身得忍の現証は純陀なり、法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身是を即身といふ、さりぬ

る魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法死人

の色心を変えて無始の妙境妙智と成す是れ則ち即身成仏なり、故に法華経に云く「所謂諸法如是相[死人の身]

如是性[同く心]如是体[同く色心等]云云、又云く「深く罪福の相に達してメく十方を照したまう微妙の浄き

法身相を具せること三十二」等云云、上の二句は生身得忍下の二句は即身成仏即身成仏の手本は竜女是なり生身

得忍の手本は純陀是なり。