上行菩薩結要付属口伝

上行菩薩結要付属口伝      /建治元年   五十四歳御作

+          於身延

妙法蓮華経見宝塔品第十一「爾の時に仏前に七宝の塔有り」と云云、又云く「即時に釈迦牟尼仏神通力を以て

諸の大衆を接して皆虚空に在たもう、大音声を以て普く四衆に告げたまわく誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙

法華経を説かん今正く是れ時なり如来久しからずして当に涅槃に入るべし仏此の妙法華経を以て付属して在るこ

と有らしめんと欲す」云云、又云く「諸余の教典数恒沙の如し」と云云、又云く「諸の大衆に告ぐ我滅度の後に

誰か能く斯の経を護持し読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説け」と又云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者

は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如きの人は諸仏の歎め給う所なり」と云云、妙法蓮華経勧持品第十三「爾時

薬王菩薩摩訶薩及び大楽説菩薩摩訶薩二万の菩薩眷属と倶に皆仏前に於て是の誓言を作さく唯願くば世尊以て慮

したもうべからず我等仏の滅後に於て当に此の経典を奉持し読誦し説きたてまつるべし、後の悪世の衆生は善根

転た少くして増上慢多く利供養を貪り不善根を増し解脱を遠離せん教化すべきこと難しと雖も我等当に大忍力を

起して此の経を読誦し持説し書写し種種に供養して身命を惜まざるべし、爾の時に衆中の五百の阿羅漢の授記を

得たる者仏に白して言さく世尊我れ等亦自ら誓願すらく異の国土に於て広く此の経を説かんと、復学無学の八千

人の授記を得たる者有り座従り起て合掌し仏に向いたてまつりて是誓言を作さく世尊我等亦当に他の国土に於て

広く此の経を説きたてまつるべし所以は何ん是の娑婆国の中は人弊悪多く増上慢を懐き功徳浅薄に瞋濁諂曲にし

て心不実なるが故に」と云云、又云く「爾の時に世尊八十万億那由佗の諸の菩薩摩訶薩を視す

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是の諸の菩薩は皆是阿惟越致なり、即時に諸の菩薩倶に同く声を発して偈を説いて言さく、唯願くは慮したもう

べからず仏の滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる

者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるをこれ得たりと謂い我慢の心充

満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん、利養に貪著す

るが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を

念い名を阿練若に仮りて好んで我等の過を出ださん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口し

て顰蹙し数数擯出せられん」と云云。

 文句の八に云く「初めに一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行

は僣聖増上慢の者を明す、故に此の三の中初めは忍ぶ可し次は前に過ぐ第三は最も甚し」と云云。

 涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩八恒河沙の数に過ぎたり、大衆の中に於て起立し

合掌し礼を作して仏に白して言く、世尊若し我等に仏の滅後に於て此の娑婆世界に在つて勤加精進し是の経典を

護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし、爾の時に仏諸

の菩薩摩訶薩衆に告く止みね善男子汝等が此の経を護持せんことを須いじ所以は何ん我が娑婆世界に自ら六万恒

河沙等の菩薩摩訶薩有り、一一の菩薩各六万恒河沙の眷属有り是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く

此の経を説かん」と云云五巻畢。

 属累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏法座従り起つて大神力を現じたもう右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を

摩でて是の言を作したまわく我無量百千万億阿僧祇劫に於て是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり今以

て汝等に付属す汝等当に一心に此の法を流布して広く増益せしむべし、是くの如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を

摩でて是の言を作したまわく

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我無量百千万億阿僧祇劫に於て是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり今以て汝等に付属す、汝等当に受

持読誦し広く此の法を宣べて一切衆生をして普く聞知することを得せしむべし所以は何ん如来は大慈悲有つて諸

の慳v無く亦畏るる所無く能く衆生に仏の智慧如来の智慧自然の智慧を与う如来は是一切衆生の大施主なり汝等

亦随つて如来の法を学ぶべし慳vを生ずること勿れ」と云云。

 文句の九に云く[涌出品下]「如来之を止めたもうに凡そ三義有り、汝等各各に自ら己が任有り若し此の土に

住せば彼の利益を廃せん、又他方は此土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん又若し之を許さば

則ち下を召すことを得ず下若し来らずんば迹を破することを得ず遠を顕すことを得ず是を三義もつて如来之を止

めたもうと為す、下方を召して来らしむるに亦三義有り是れ我が弟子なり我が法を弘むべし縁深広なるを以て能

く此の土に遍じて益し分身の土に遍して益し他方の土に遍して益す、又開近顕遠することを得是の故に彼を止め

て下を召すなり」と云云。

 記に云く「問う諸の仏菩薩は共に未熟を熟す何の彼此有らん分身散影して普く十方に遍す而るを己任及び廃彼

と言うや、答う諸の仏菩薩は実に彼此無し但機に在無有り無始法爾なり故に第二の義を以て初の義を顕わして結

縁事浅と云う、初め此の仏菩薩に従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」と云云、又云く「子父の法を弘

むるに世界の益有り」と云云、記の八に云く「因薬王とは本薬王に託し茲に因せて余に告ぐ此れ流通の初なり先

に八万の大士に告ぐとは、大論に云く法華は是秘密なれば諸の菩薩に付すと、下の文に下方を召すが如きは尚本

眷属を待つ験し余は未だ堪えず」云云、問う何が故ぞ他方を止めて本眷属を召すや、答う私の義有る可らず霊山

の聴衆天台の所判に任す可し、疏に云く「涌出に三と為す一には他方の菩薩弘経を請す二には如来許したまわず

三には下方の涌出なり、他方の菩薩は通経の福の大なることを聞いて咸く願を発し此の土に住して弘宣せんと欲

するが故に請ず、之が為に如来之を止めたもう」等と云云。

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結要付属の事

  初に称歎付属爾時仏告 猶不能尽

  二に結要付属以要言之 宣示顕説

結要勧持四 三に正勧付属是故汝等 起塔供養

  四に釈勧付属所以者何 而般涅槃

疏の十に云く「爾時仏告上行の下は是れ第三に結要付属なり」と云云、又云く「結要に四句有り、一切法とは一

切皆是れ仏法なり此は一切皆妙名を結するなり一切力とは通達無礙にして八自在を具す此れは妙用を結するなり

一切秘蔵とは一切処に遍して皆是れ実相なり此れは妙体を結するなり一切深事とは因果は是れ深事なり此は妙宗

を結するなり、皆於此経宣示顕説とは総じて一経を結する唯四ならくのみ其枢柄を撮つて之を授与す」と云云、

記に云く「結要有四句とは本迹二門に各宗用有り二門の体は両処殊ならず」と云云輔正記に云く付属とは此の経

は唯下方涌出の菩薩に付す何を以ての故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す云云。

          一 正く付属

  一 如来の付属 二 付属を釈す

  初に付属に三   二 菩薩の領受 三 付属を誡む[余の深法の中の下なり]

属累品の文段に二有り     三 事畢て唱散す

  次に時衆の歓喜  説是語時の下三行余

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  第一の五百歳 解脱堅固

  第二の五百歳 禅定堅固

大集経の五箇五百歳とは   第三の五百歳 読誦多聞堅固

  第四の五百歳 多造塔寺堅固

  第五の五百歳 闘諍堅固

 夫れ仏滅度の後二月十六日より正法なり、迦葉仏の付属を請け次に阿難尊者次に商那和修次に優婆シ多次に提

多迦此の五人各各二十年にして一百年なり、其の間は但小乗経の法門のみ弘通して諸大乗経は名字もなし何に況

や法華経をや、次に弥遮迦仏陀難陀仏駄密多脇比丘富那奢等の五人は五百年の間大乗の法門少少出来すと雖も取

立てて弘通せず但小乗経を正と為す已上大集経の前の五百年解脱堅固に当れり、正法の後の五百年には馬鳴竜樹

乃至師子等の十余人の人人始には外道の家に入り次には小乗経を極め後には諸大乗経を以て散散に小乗経等を破

失しき、然りと雖も権大乗と法華経との勝劣未だ分明ならず浅深を書かせ給いしかども本迹の十妙二乗作仏久遠

実成已今当等百界千如一念三千の法門をば名をも書き給わず此大集経の禅定堅固に当れり、次に像法に入つては

天竺は皆権実雑乱して地獄に堕する者数百人ありき、像法に入つて一百余年の間は漢土の道士と月氏の仏法と諍

論未だ事定らざる故に仏法を信ずる心未だ深からずまして権実を分くる事なし、摩騰竺法蘭は自は知りて而も大

小を分たず権実までは思いもよらず、其の後魏晋宋斉梁の五代の間漸く仏法の中に大小権実顕密を諍いし程に何

れをも道理とも聞えず南三北七の十流我意に仏法を弘む、爾れども大に分つに一切経の中には一には華厳二には

涅槃三には法華と云云、爾れども像法の始の四百年に当つて天台大師震旦に出現して南北の邪義一一に之を破し

畢んぬ、此大集経の多聞堅固の時に当れり、像法の後の五百年には三論法相乃至真言等を各三蔵将来す、

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像法に入つて四百余年あつて日本国へ百済国より一切経並に釈尊の木像僧尼等を渡す梁の末陳の始めに相当る日

本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇なり、像法の後の五百年に三論法相等の六宗面面の異義あり爾れ

ども各邪義なり、像法八百年に相当つて伝教大師日本に出でて彼の六宗の義を皆責め伏せ給えりと云云、伝教已

後には東寺園城寺等の諸寺日本一同に云く「真言宗は天台宗に勝れたり」と云云、此大集経の多造塔寺堅固の時

なり今末法に入つて仏滅後二千二百二十余年に当りて聖人出世す是は大集経の闘諍言訟白法隠没の時なり云云、

夫れ釈迦の御出世は住劫第九の減人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間は在世は五十年滅後は正像二千年と末法

一万年となり、其の中間に法華経流布の時二度之れ有る可し、所謂在世の八年滅後には末法の始の五百年なり。

 夫れ仏法を学する法には必ず時を知る可きなり過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一偈も之を説かず

経に云く「一坐十小劫」と云云、又云く「仏時末だ至らずと知しめして 請を受け黙然として坐したまえり」と

、今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説きたまわず経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等云云、老子は

母の胎に処して八十年弥勒菩薩は兜率の内院にして五十六億七千万歳を待ちたもう仏法を修行する人人時を知ら

ざらんや、爾らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども経文に任するに「我が滅度の後後の五百歳の中

に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と云云、誠に以て分明なり。

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