三論宗御書

三論宗御書

 三論宗の始めて日本に渡りしは三十四代推古の御宇治す十年壬戌の十月百済の僧観勒之を渡す、日本記の太子

の伝を見るに異義無し、但し三十七代との事は流布の始めなり、天台宗律宗の渡れる事は天平勝宝六年甲午二月

十六日丁未乃至四月に京に入り東大寺に入る天台止観等云云、諸伝之に同じ、人王第四十六代孝謙天皇の御宇な

り聖武は義謬りなり書き直す可きか、戒壇は以て前に同じ、大日経の日本に渡れる事は弘法の遺告に云く「件の

経王は大日本国高市郡久米道場の東塔の下に在り」云云、此れ又元政天皇の御宇なり、法華経の渡り始めし事は

人王第三十四代推古の四年なり、太子恵慈法師に謂つて曰く「法華経の中に此の句落字」と云云、太子使を漢土

に遣わし已前の法華経此の国に有るか、惟れ知んぬ欽明の御宇に渡る所の経の中に法華経有るなり、但し自ら御

不審有る大事は所謂日本記に云く「欽明天皇十三年壬申冬十月十三日辛酉百済国聖明王始めて金銅釈迦像一躯を

献ず」等云云、善光寺流記に云く「阿弥陀並びに観音勢至欽明天皇の御宇治天下十三年壬申十月十三日辛酉百済

国の明王件の仏菩薩頂戴」と云云、相違欲[已下欠]

P0692