土木殿御返事

土木殿御返事   /文永十年七月 五十二歳御作

 鵞目二貫給候い畢んぬ、太田殿と其れと二人の御心喜び候、伊予房は機量物にて候ぞ今年留め候い畢んぬ、御

勘気ゆりぬ事御歎き候べからず候、当世日本国子細之れ有る可き由之を存ず定めて勘文の如く候べきか、設い日

蓮死生不定為りと雖も妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす、但

し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す事法為る故に一重大難之れ有るか、仏滅後二千二百二十余年今に

寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず、当時果報を論ずれば恐らくは伝教天台にも超え竜樹天親にも勝れたるか

、文理無くんば大慢豈之に過んや、章安大師天台を褒めて云く「天竺の大論尚其の類に非ず真旦の人師何ぞ労し

く語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、日蓮又復是くの如し竜樹天親等尚其の類に非ず

等云云、此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ、故に天台大師日蓮を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん

」等云云、伝教大師当世を恋いて云く「末法太はだ近きに有り」等云云、幸いなるかな我が身「数数見擯出」の

文に当ること悦ばしいかな悦ばしいかな、諸人の御返事に之を申す故に委細、恐恐。

= 七月六日                 日蓮花押

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