富木殿御返事

富木殿御返事  /   文永十二年  五十四歳御作

 富木殿御返事                        日   蓮

 帷一領給び候い畢んぬ、夫れ仏弟子の中比丘一人はんべり、飢饉の世に仏の御時事かけて候いければ比丘袈裟

をうて其のあたいを仏に奉る、仏其の由来を問い給いければしかじかとありのままに申しけり、仏云く「袈裟は

これ三世の諸仏解脱の法衣なり、このあたひをば我ほうじがたし」と辞退しましまししかば此の比丘申すは「こ

の袈裟あたひをばいかんがせん」と申しければ、仏の云く「汝悲母有りや不や」答えて云く「有り」仏云く「此

の袈裟をば汝母に供養すべし」此の比丘仏の云く「仏は此れ三界の中の第一の特尊なり一切衆生の眼目にてをは

す、設い十方世界を覆う衣なりとも大地にしく袈裟なりとも能く報じ給うべし、我が母は無智なる事牛のごとし

羊よりもはかなしいかでか袈裟の信施をほうぜん」と云云、仏返して告げて云く「汝が身をば誰か生みしぞや汝

が母これを生む此の袈裟の恩報じぬべし」等云云、此れは又齢九旬にいたれる悲母の愛子にこれをまいらせさせ

給える我と両眼をしぼり身命を尽くせり、我が子の身として此の帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか日蓮又ほ

うじがたし、しかれども又返すべきにあらず此の帷をきて日天の御前にして此の子細を申し上げば定めて釈梵諸

天しろしめすべし、帷は一なれども十方の諸天此れをしり給うべし、露を大海によせ土を大地に加るがごとし生

生に失せじ世世にくちざらむかし、恐恐謹言。

= 二月五日                     日   蓮  花押

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