観心本尊得意抄

観心本尊得意抄  /建治元年十一月 五十四歳御作

 鵞目一貫文厚綿の白小袖一つ筆十管墨五丁給び畢んぬ。

 身延山は知食如く冬は嵐はげしくふり積む雪は消えず極寒の処にて候間昼夜の行法もはだうすにては堪え難く

辛苦にて候に此の小袖を著ては思い有る可からず候なり、商那和修は付法蔵の第三の聖人なり、此の因位を仏説

いて云く「乃往過去に病の比丘に衣を与うる故に生生世世に不思議自在の衣を得たり」、今の御小袖は彼に似た

り此の功徳は日蓮は之を知る可からず併ながら釈迦仏に任せ奉り畢んぬ。

 抑も今の御状に云く教信の御房観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事不相伝の僻見

にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが其の通りを以て御教訓有る可く候、所詮在

在処処に迹門を捨てよと書きて候事は今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり

、設い天台伝教の如く法のままありとも今末法に至ては去年の暦の如し何に況や慈覚自り已来大小権実に迷いて

大謗法に同じきをや、然る間像法の時の利益も之無し増して末法に於けるをや。

 一北方の能化難じて云く爾前の経をば未顕真実と捨て乍ら安国論には爾前の経を引き文証とする事自語相違と

不審の事前前申せし如し、総じて一代聖教を大に分つて二と為す一には大綱二には網目なり、初の大綱とは成仏

得道の教なり、成仏の教とは法華経なり、次に網目とは法華已前の諸経なり、彼の諸経等は不成仏の教なり、成

仏得道の文言之を説くと雖も但名字のみ有て其の実義は法華に之有り、伝教大師の決権実論に云く「権智の所作

は唯名のみ有て実義有ること無し」云云、但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず

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法華の為の網目なるが故に、所詮成仏の大綱を法華に之を説き其の余の網目は衆典に之を明す、法華の為の網目

なるが故に法華の証文に之を引き用ゆ可きなり、其の上法華経にて実義有る可きを爾前の経にして名字計りのの

しる事全く法華の為なり、然る間尤も法華の証文となるべし。

 問う法華を大綱とする証如何、答う天台は当に知るべし此の経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざ

るなりと、問う爾前を網目とする証如何、答う妙楽の云く「皮膚毛綵衆典に出在せり」云云、問う成仏は法華に

限ると云う証如何、答う経に云く「唯一乗の法のみ有て二も無く亦三も無し」文問う爾前は法華の為との証如何

答う経に云く「種種の道を示すと雖も仏乗の為なり」委細申し度く候と雖も心地違例して候程に省略せしめ候、

恐恐謹言。

= 十一月二十三日                       日蓮花押

%  富木殿御返事

帥殿の物語りしは下総に目連樹と云う木の候よし申し候し、其の木の根をほりて十両ばかり両方の切目には焼金

を宛てて紙にあつくつつみて風ひかぬ様にこしらへて大夫次郎が便宜に給び候べきよし御伝えあるべく候。

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