忘持経事 |
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忘持経事 /建治二年 五十五歳御作
+ 与富木常忍 忘れ給う所の御持経追て修行者に持たせ之を遣わす。 魯の哀公云く人好く忘る者有り移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云、孔子云く又好く忘るること此れより甚しき 者有り桀紂の君は乃ち其の身を忘れたり等云云、夫れ槃特尊者は名を忘る此れ閻浮第一の好く忘るる者なり今常 忍上人は持経を忘る日本第一の好く忘るるの仁か、大通結縁の輩は衣珠を忘れ三千麈劫を経て貧路に踟Uし久遠 下種の人は良薬を忘れ五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり、今真言宗念仏宗禅宗律宗等の学者等は仏陀の本 意を忘失し未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん、此れより第一の好く忘るる者あり P0977 所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する是れなり、親に背いて敵に付き刀 を持ちて自を破る此等は且く之を置く。 夫れ常啼菩薩は東に向つて般若を求め善財童子は南に向いて華厳を得る雪山の小児は半偈に身を投げ楽法梵志 は一偈に皮を剥ぐ、此等は皆上聖大人なり其の迹を×うるに地住に居し其の本を尋ぬれば等妙なるのみ身は八熱 に入つて火坑三昧を得心は八寒に入つて清涼三昧を証し身心共に苦無し、譬えば矢を放つて虚空を射石を握つて 水に投ずるが如し。 今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫なり、身は俗に非ず道に非ず禿居士心は善に非ず悪に非ず羝羊 のみ、然りと雖も一人の悲母堂に有り朝に出で主君に詣で夕に入て私宅に返り営む所は悲母の為め存する所は孝 心のみ、而るに去月下旬の比生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く此に貴辺と歎いて言く齢既に九旬に及び子 を留めて親の去ること次第たりと雖も倩事の心を案ずるに去つて後来る可からず何れの月日をか期せん二母国に 無し今より後誰をか拝す可き、離別忍び難きの間舎利を頚に懸け足に任せて大道に出で下州より甲州に至る其の 中間往復千里に及ぶ国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨 たる大山重重として漫漫たる大河多多なり高山に登れば頭を天に×ち幽谷へ下れば足雲を踏む鳥に非れば渡り難 く鹿に非れば越え難し眼眩き足冷ゆ、羅什三蔵の葱嶺役の優婆塞の大峰も只今なりと云云、然る後深洞に尋ね入 りて一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ、案内を触れて室に入り教主釈尊の御宝前に 母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し歓喜身に余り心の苦み忽ち息む、我が頭は父母の 頭我が足は父母の足我が十指は父母の十指我が口は父母の口なり、譬えば種子と菓子と身と影との如し教主釈尊 の成道は浄飯摩耶の得道吉占師子青提女目ヲ尊者は同時の成仏なり、是の如く観ずる時 P0978 無始の業障忽ちに消え心性の妙蓮忽ちに開き給うか然して後に随分仏事を為し事故無く還り給う云云、恐恐謹言 。 % 富木入道殿 |