可延定業書

可延定業書     /弘安二年    五十八歳御作

+                   与富木常忍妻

 夫れ病に二あり一には軽病二には重病重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや、業に

二あり一には定業二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや、法華経第七に云

く「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」等云々、此の経文は法華経の文なり、一代の聖教は皆如来の金言

無量劫より巳来不妄語の言なり、就中此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり、多宝証明を加

え諸仏舌相を添え給ういかでかむなしかるべき、其の上最第一の秘事はんべり此の経文は後五百歳二千五百余年

の時女人の病あらんととかれて候文なり、阿闍世王は御年五十の二月十五日に大悪瘡身に出来せり、大医耆婆が

力も及ばず三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき、五十余年が間の大楽一時に滅して一生の大苦三七日あ

つまれり、定業限りありしかども仏法華経をかさねて演説して涅槃経となづけて大王にあたい給いしかば身の病

忽に平愈し心の重罪も一時に露と消えにき、仏滅後一千五百余年陳臣と申す人ありき命知命にありと申して五十

年に定まりて候いしが天台大師に値いて十五年の命を宣べて六十五までをはしき、其の上不軽菩薩は更増寿命と

とかれて法華経を行じて定業をのべ給いき、彼等は皆男子なり女人にはあらざれども法華経を行じて寿をのぶ、

又陳臣は後五百歳にもあたらず冬の稲米夏の菊花のごとし、当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋

の稲米冬の菊花誰かをどろくべき。

 されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身とし

て病を身にうけさせ給う心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし、

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しかも善医あり中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり、命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを

延るならば千万両の金にもすぎたり、法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし、閻

浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、早く

心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし、此れよりも申すべけれども人は申すによて吉事もあり又我

が志のうすきかとをもう者もあり人の心しりがたき上先先に少少かかる事候、此の人は人の申せばすこそ心へず

げに思う人なり、なかなか申すはあしかりぬべし、但なかうどもなくひらなさけに又心もなくうちたのませ給え

、去年の十月これに来りて候いしが御所労の事をよくよくなげき申せしなり、当事大事のなければをどろかせ給

わぬにや、明年正月二月のころをひは必ずをこるべしと申せしかばこれにもなげき入つて候。

 富木殿も此の尼ごぜんをこそ杖柱とも恃たるになんど申して候いしなり随分にわび候いしぞきわめてまけじた

まし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり、かへすがへす身の財をだにをしませ給わば此の病

治がたかるべし、一日の命は三千界の財にもすぎて候なり先ず御志をみみへさせ給うべし、法華経の第七の巻に

三千大千世界の財を供養するよりも手の一指を焼きて仏法華経に供養せよととかれて候はこれなり、命は三千に

もすぎて候而も齢もいまだたけさせ給はず、而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし

、あらをしの命やをしの命や、御姓名並びに御年を我とかかせ給いてわざとつかわせ大日月天に申しあぐべし、

いよどの(伊予殿)もあながちになげき候へば日月天に自我偈をあて候はんずるなり、恐恐。

                             日蓮花押

%   尼ごぜん御返事

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