四菩薩造立抄

四菩薩造立抄     /弘安二年五月  五十八歳御作

 白小袖一薄墨染衣一同色の袈裟一帖鵞目一貫文給び候、今に始めざる御志言を以て宣べがたし何れの日を期し

てか対面を遂げ心中の朦朧を申し披や。

 一御状に云く本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候い

き、然れば聴聞の如くんば何の時かと云云、夫れ仏世を去らせ給いて二千余年に成りぬ、其の間月氏漢土日本国

一閻浮提の内に仏法の流布する事僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し、然るにいまだ本門の教主釈尊並に本化の菩

薩を造り奉りたる寺は一処も無し三朝の間に未だ聞かず、日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主脇士

を造るべき事を知らず上宮太子仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども阿弥陀仏を本尊として脇士には

観音等四天王を造り副えたり、伝教大師延暦寺を立て給うに中堂には東方の鵞王の相貌を造りて本尊として

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久成の教主脇士をば建立し給はず、南京七大寺の中にも此の事を未だ聞かず田舎の寺寺以て爾なり、かたがた不

審なりし間法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり、末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨

分明なり、正像に出世せし論師人師の造らざりしは仏の禁を重んずる故なり、若し正法像法の中に久成の教主釈

尊並びに脇士を造るならば夜中に日輪出で日中に月輪の出でたるが如くなるべし、末法に入つて始めの五百年に

上行菩薩の出でさせ給いて造り給うべき故に正法像法の四依の論師人師は言にも出させ給はず、竜樹天親こそ知

らせ給いたりしかども口より外へ出させ給はず、天台智者大師も知らせ給いたりしかども迹化の菩薩の一分なれ

ば一端は仰せ出させ給いたりしかども其の実義をば宣べ出させ給はず、但ねざめの枕に時鳥の一音を聞きしが如

くにして夢のさめて止ぬるやうに弘め給い候ぬ、夫れより已外の人師はまして一言をも仰せ出し給う事なし、此

等の論師人師は霊山にして迹化の衆は末法に入らざらんに正像二千年の論師人師は本門久成の教主釈尊並に久成

の脇士地涌上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。

 今末法に入れば尤も仏の金言の如くんば造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時なり、当時は其の時に相

当れば地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん、先ず其れ程に四菩薩を建立し奉るべし尤も今は然るべき時なり

と云云、されば天台大師は後の五百歳遠く妙道に沾わんとしたひ、伝教大師は正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有

り法華一乗の機今正に是れ其の時なりと恋いさせ給う、日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て

論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊

の御恩報じ奉り難し、恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給いたり天台智者大師伝教大師等も及び給

うべからず最も四菩薩を建立すべき時なり云云、問うて云く四菩薩を造立すべき証文之れ有りや、答えて云く涌

出品に云く「四の導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く」

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等云云、問うて云く後五百歳に限るといへる経文之れ有りや、答えて云く薬王品に云く「我が滅度の後後の五百

歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。

 一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由其の聞え候と是は以ての外の謬なり、

御得意候へ本迹二門の浅深勝劣与奪傍正は時と機とに依るべし、一代聖教を弘むべき時に三あり機もつて爾なり

、仏滅後正法の始の五百年は一向小乗後の五百年は権大乗像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の始には一向

に本門なり一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず、法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之

れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時爾前迹門は正法像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり

、今の時は正には本門傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はい

まだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波

旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺

に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如く

にし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。

 一日行房死去の事不便に候、是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦多

宝十方の諸仏霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきらしからず候間省略せしめ候、又

又申す可く候、恐恐謹言。

=  弘安二年五月十七日              日蓮花押

%   富木殿御返事

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