諸経と法華経と難易の事

諸経と法華経と難易の事  /弘安三年五月 五十九歳御作

 問うて云く法華経の第四法師品に云く難信難解と云云いかなる事ぞや、答えて云く此の経は仏説き給いて後二

千余年にまかりなり候、月氏に一千二百余年漢土に二百余年を経て後に日本国に渡りてすでに七百余年なり、仏

滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり、所謂月氏には竜樹菩薩の大論に云く「譬えば大薬師の能く

毒を以て薬と為すが如し」等云云、此れは竜樹菩薩の難信難解の四字を読み給いしなり、漢土には天台智者大師

と申せし人読んで云く「已今当説最も為れ難信難解」と云云、日本国には伝教大師読んで云く「已説の四時の経

今説の無量義経当説の涅槃経は易信易解なり随他意の故に此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等

云云、問うて云く其の意如何、答て云く易信易解は随他意の故に難信難解は随自意の故なり云云、弘法大師並び

に日本国東寺の門人をもわく法華経は顕教の内の難信難解にて密教に相対すれば易信易解なり云云、慈覚智証並

びに門家思うよう法華経と大日経は倶に難信難解なり但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解大日経は

最も為れ難信難解なり云云、此の二義は日本一同なり、日蓮読んで云く外道の経は易信易解小乗経は難信難解小

乗経は易信易解大日経等は難信難解大日経等は易信易解般若経は難信難解なり般若と華厳と華厳と涅槃と涅槃と

法華と迹門と本門と重重の難易あり。

 問うて云く此の義を知つて何の詮か有る答えて云く生死の長夜を照す大燈元品の無明を切る利剣は此の法門に

過ぎざるか随他意とは真言宗華厳宗等は随他意の易信易解なり仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他

意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏仏界に随つて説く所の経を随自意という、

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譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり、日蓮此の義に付て大日経華厳経涅槃経等を勘え見候に皆随他意の経経

なり、問うて云く其の随他意の証拠如何、答えて云く勝鬘経に云く「非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を

以て之を成熟す声聞を求むる者には声聞乗を授け縁覚を求むる者には、縁覚乗を授け大乗を求むる者には授くる

に大乗を以てす」と云云、易信易解の心是なり、華厳大日般若涅槃等又是くの如し「爾の時に世尊薬王菩薩に因

せて八万の大士に告げたまわく薬王汝是の大衆の中の無量の諸天竜王夜叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩ョ羅伽人

と非人と及び比丘比丘尼優婆塞優婆夷の声聞を求むる者辟支仏を求むる者仏道を求むる者を見るや、是くの如き

等類咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて一念も随喜する者には我皆記を与え授く当に阿○菩提を得べし

」文、諸経の如くんば人は五戒天は十善梵は慈悲喜捨魔王には一無遮比丘の二百五十比丘尼の五百戒声聞の四諦

縁覚の十二因縁菩薩の六度譬へば水の器の方円に随い象の敵に随つて力を出すがごとし、法華経は爾らず八部四

衆皆一同に法華経を演説す、譬へば定木の曲りを削り師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし。

 此の明鏡を以て一切経を見聞するに大日の三部浄土の三部等隠れ無し、而るをいかにやしけん弘法慈覚智証の

御義を本としける程に此の義すでに隠没して日本国四百余年なり、珠をもつて石にかへ栴檀を凡木にうれり、仏

法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり、幸な

るは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり

、委細に旨又又申す可く候、恐恐。

= 五月廿六日                     日蓮花押

%富木殿御返事

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