太田入道殿御返事

太田入道殿御返事 /建治元年十一月 五十四歳御作

 貴札之を開いて拝見す、御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ、維摩詰経に云く「爾の時に長者維摩詰自ら

念ずらく寝ねて牀に疾む云云、爾の時に仏文殊師利に告げたまわく、汝維摩詰に行詣して疾を問え」云云、大涅

槃経に云く「爾の時に如来乃至身に疾有るを現じ、右脇にして臥したもう彼の病人の如くす」云云、法華経に云

く「少病少悩」云云、止観の第八に云く「若し毘耶に偃臥し疾に託いて教を興す、乃至如来滅に寄せて常を談じ

病に因つて力を説く」云云、又云く「病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む二には飲食

節ならざる故に病む三には坐禅調わざる故に病む四には鬼便りを得る五には魔の所為六には業の起るが故に病む

」云云、大涅槃経に云く「世に三人の其の病治し難き有り一には大乗を謗ず二には五逆罪三には一闡提是くの如

き三病は世の中の極重なり」云云、又云く「今世に悪業成就し乃至必ず地獄なるべし乃至三宝を供養するが故に

地獄に堕せずして現世に報を受く所謂頭と目と背との痛み」等云云、止観に云く「若し重罪有つて乃至人中に軽

く償うと此れは是れ業が謝せんと欲する故に病むなり」云云、竜樹菩薩の大論に云く「問うて云く若し爾れば華

厳経乃至般若波羅蜜は秘密の法に非ず而も法華は秘密なり等、乃至譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如

し」云云、天台此の論を承けて云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く乃至今経の得記は即ち是れ毒

を変じて薬と為すなり」云云、故に論に云く「余経は秘密に非ず法華を秘密と為すなり」云云、止観に云く「法

華能く治す復称して妙と為す」云云、妙楽云く「治し難きを能く治す所以に妙と称す」云云、大経に云く「爾の

時に王舎大城の阿闍世王其の性弊悪にして乃至父を害し已つて心に悔熱を生ず乃至心悔熱するが故に

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メ体瘡を生ず其の瘡臭穢にして附近すべからず、爾の時に其の母韋提希と字く種種の薬を以て而も為に之を傅く

其の瘡遂に増して降損有ること無し、王即ち母に白す是くの如きの瘡は心よりして生ず四大より起るに非ず若し

衆生能く治する者有りと言わば是の処有ること無けん云云、爾の時に世尊大悲導師阿闍世王のために月愛三昧に

入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」云云、

平等大慧妙法蓮華経の第七に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞く

ことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」云云。

 已上上の諸文を引いて惟に御病を勘うるに六病を出でず其の中の五病は且らく之を置く第六の業病最も治し難

し、将た又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず就中法華誹謗の業病最第一なり、神農黄帝華佗扁鵲も手を拱

き持水流水耆婆維摩も口を閉ず、但し釈尊一仏の妙経の良薬に限つて之を治す、法華経に云く上の如し、大涅槃

経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還りて正法に帰すること有れば乃至此の正

法を除いて更に救護すること無し是の故に正法に還帰すべし」云云、荊谿大師の云く「大経に自ら法華を指して

極と為す」云云、又云く「人の地に倒れて還つて地に従りて起つが如し故に正の謗を以て邪の堕を接す」云云、

世親菩薩は本小乗の論師なり五竺の大乗を止めんが為に五百部の小乗論を造る後に無著菩薩に値い奉りて忽に邪

見を飜えし一時此の罪を滅せんが為に著に向つて舌を切らんと欲す、著止めて云く汝其の舌を以て大乗を讃歎せ

よと、親忽に五百部の大乗論を造つて小乗を破失す、又一の願を制立せり我一生の間小乗を舌の上に置かじと、

然して後罪滅して弥勒の天に生ず、馬鳴菩薩は東印度の人、付法蔵の第十三に列れり本外道の長たりし時勒比丘

と内外の邪正を論ずるに其の心言下に解けて重科を遮せんが為に自ら頭を刎ねんと擬す所謂我我に敵して堕獄せ

しむ、勒比丘諌め止めて云く汝頭を切ること勿れ其の頭と口とを以て大乗を讃歎せよと、

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鳴急に起信論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり、嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠三論宗の元祖な

り呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い立処に邪執を飜破し謗人謗法の重罪を滅せんが

為に百余人の高徳を相語らい智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承く、七年の間薪を採り水を汲み講

を廃し衆を散じ慢幢を倒さんが為法華経を誦せず、大師の滅後隋帝に往詣し雙足を摂し涙を流して別れを告げ

古鏡を観見して自影を慎辱す業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す、夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言已今

当の明珠諸経の頂に居す、経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」又云く「法華最第一なり」伝教大師の

云く「仏立宗」云云。

 予随分大金地等の諸の真言の経を勘えたるに敢えて此の文の会通の明文無し但畏智空法覚証等の曲会に見えた

り是に知んぬ釈尊大日の本意は限つて法華の最上に在るなり、而るに本朝真言の元祖たる法覚証等の三大師入唐

の時畏智空等の三三蔵の誑惑を果全等に相承して帰朝し了んぬ、法華真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠し

て真言両界の螢火を顕し剰え法華経を罵詈して日く戯論なり無明の辺域なり、自害の謬ワに日く大日経は戯論な

り無明の辺域なり本師既に曲れり末葉豈直ならんや源濁れば流清からず等是れ之を謂うか、之に依つて日本久し

く闇夜と為り扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。

 抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も将た又檀那の所従なり身は邪家に処して年久しく心は邪師に染みて月

重なる設い大山は頽れ設い大海は乾くとも此の罪は消え難きか、然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる

所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか、彼の闍王の身瘡は五逆

誹法の二罪の招く所なり、仏月愛三昧に入つて其の身を照したまえば悪瘡忽に消え三七日の短寿を延べて四十年

の宝算を保ち兼ては又千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり、

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此の禅門の悪瘡は但謗法の一科なり、所持の妙法は月愛に超過す、豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや、此の語

徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人一乗妙経は綺語の典なり名を惜しみ給わば世尊験を顕し誓を恐れ

給わば諸の賢聖来り護り給えと叫喚したまえと爾か云う書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、

恐恐。

= 十一月三日 日蓮花押

% 太田入道殿御返事