曾谷入道殿許御書

曾谷入道殿許御書 /文永十二年三月 五十四歳御作

+ 与曾谷入道 太田金吾

 夫れ以れば重病を療治するには良薬を構索し逆謗を救助するには要法には如かず、所謂時を論ずれば正像末教

を論ずれば小大偏円権実顕密国を論ずれば中辺の両国機を論ずれば已逆と未逆と已謗と未謗と師を論ずれば凡師

と聖師と二乗と菩薩と他方と此土と迹化と本化となり、故に四依の菩薩等滅後に出現し仏の付属に随つて妄りに

経法を演説したまわず、所詮無智の者未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与えず悪人為る上已に実大を謗ずる

者には強て之を説く可し、法華経第二の巻に仏舎利弗に対して云く「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ

」又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまわく「此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり分布して妄りに人に授

与す可からず」云云、文の心は無智の者の而も未だ正法を謗ぜざるには左右無く此の経を説くこと莫れ、法華経

第七の巻不軽品に云く「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」等云云、又云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄

なる者有り悪口罵詈して言く是の無智の比丘何れの所従り来りてか」等云云、又云く「或は杖木瓦石を以て之を

打擲す」等云云、第二第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。

問うて日く一経二説何れの義に就いて此の経を弘通すべき、答えて云く私に会通すべからず霊山の聴衆為る天

台大師並びに妙楽大師等処処に多くの釈有り先ず一両の文を出さん、文句の十に云く「問うて日く釈迦は出世し

て踟Uして説かず今は此れ何の意ぞ造次にして説くは何ぞや答えて日く本已に善有るには釈迦小を以て之を将護

し本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す」等云云、釈の心は寂滅鹿野大宝白鷺等の前四味の小大権実の

諸経四教八教の所被の機縁彼等が過去を尋ね見れば久遠大通の時に於て純円の種を下せしかども

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諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す然りと雖も下せし所の下種純熟の故に時至つて自ら繋珠を顕す但四

十余年の間過去に已に結縁の者も猶謗の義有る可きの故に且らく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。

 問うて日く華厳の時別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何、答えて日く彼等の衆は時を以て之を論

ずれば其の経の得道に似たれども実を以て之を勘うるに三五下種の輩なり、問うて日く其の証拠如何、答えて日

く法華経第五の巻涌出品に云く「是の諸の衆生は世世より已来常に我が化を受く乃至此の諸の衆生は始め我が身

を見我が所説を聞いて即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云、天台釈して云く「衆生久遠」等云云、妙楽

大師の云く「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」又云く「故に知んぬ今日の逗会は昔成熟するの機に赴く」等

云云、経釈顕然の上は私の料簡を待たず例せば王女と下女と天子の種子を下さざれば国主と為らざるが如し。

 問うて日く大日経等の得道の者は如何、答えて日く種種の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず但し所詮彼れ

彼れの経経に種熟脱を説かざれば還つて灰断に同じ化に始終無きの経なり、而るに真言師等の所談の即身成仏は

譬えば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し王莽趙高の輩外に求む可からず今の真言家なり、此等に

因つて論ぜば仏の滅後に於て三時有り、正像二千余年には猶下種の者有り例せば在世四十余年の如し根機を知ら

ずんば左右無く実経を与う可からず、今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く

尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、而るに今時の学者時機に迷惑して或は小乗を弘

通し或は権大乗を授与し或は一乗を演説すれども題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか、殊に真

言宗の学者迷惑を懐いて三部経に依憑し単に会二破二の義を宣ぶ猶三一相対を説かず即身頓悟の道跡を削り草木

成仏は名をも聞かざるのみ、而るに善無畏金剛智不空等の僧侶月氏より漢土に来臨せし時本国に於て末だ存せざ

る天台の大法盛に此の国に流布せしむるの間自愛所持の経弘め難きに依り一行阿闍梨を語い得て

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天台の智慧を盗み取り大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る、然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の

弘法慈覚の両大師之を弁えずして信を加う已下の諸学は言うに足らず、但漢土日本の中に伝教大師一人之を推し

たまえり、然れども未だ分明ならず所詮善無畏三蔵閻魔王の責を蒙りて此の過罪を悔い不空三蔵の還つて天竺に

渡つて真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり。

 問うて日く今時の真言宗の学者等何ぞ此の義を存せざるや、答えて日く眉は近けれども見えず自の禍を知らず

とは是の謂か、嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子と為る今の末学等之を知らず、法蔵澄観華厳宗を置いて智

者に帰す彼の宗の学者之を存せず、玄奘三蔵慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る法相の学者堅く之を

諍う。

 問うて日く其の証如何、答えて日く或は心を移して身を移さず或は身を移して心を移さず或は身心共に移し或

は身心共に移さず其の証文は別紙に之を出す可し此の消息の詮に非ざれば之を出さず、仏滅後に三時有り、所謂

正法一千年前の五百年には迦葉阿難商那和修末田地脇比丘等一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す四阿含経

十誦八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵を弘通して後には律宗倶舎宗成実宗と号する是なり、後の五百年には

馬鳴菩薩竜樹菩薩提婆菩薩無著菩薩天親菩薩等の諸の大論師初には諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し後に

は一一に彼の義を破失し了つて諸の大乗経を弘通す是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す所謂華厳経般若経大日

経深密経等三輪宗法相宗真言陀羅尼禅法等なり。

 問うて日く迦葉阿難等の諸の小聖何ぞ大乗経を弘めざるや、答えて日く一には自身堪えざるが故に二には所被

の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり、問うて日く竜樹天親等何ぞ一

乗経を弘めざるや、答えて日く四つの義有り先の如し、問うて日く諸の真言師の云く

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「仏の滅後八百年に相当つて 竜猛菩薩月氏に出現して釈尊の顕経たる華厳法華等を馬鳴菩薩等に相伝し大日の

密経をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩トとに対して之を口決す、竜猛菩薩に二人の弟子有り提

婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず其の間に提

婆菩薩の伝うる所の顕教は先づ漢土に渡る其の後数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教を善無畏金剛智

不空漢土に渡す」等云云此の義如何、答えて日く一切の真言師是くの如し又天台華厳等の諸家も一同に之を信ず

、抑竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説

くと云うか、顕を提婆に伝え密を竜智に授くる証文何れの経論に出でたるぞ、此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過

ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ漢土日本の王位の尽き両朝の僧侶の謗法と為るの由来専ら斯れに在らずや、然れば則ち

彼の震旦既に北蕃の為に破られ此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す此等は且らく之を置く。

 像法に入つて一千年月氏の仏法漢土に渡来するの間前四百年には南北の諸師異義蘭菊にして東西の仏法未だ定

まらず、四百年の後五百年の前其の中間一百年の間に南岳天台等漢土に出現して粗法華の実義を弘宣したまう然

而円慧円定に於ては国師たりと雖も円頓の戒場未だ之を建立せず故に国を挙つて戒師と仰がず、六百年の已後法

相宗西天より来れり太宗皇帝之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸く薄し、茲に就いて隙を得て則天皇后

の御宇に先に破られし華厳亦起つて天台宗に勝れたるの由之を称す、太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に真言始め

て月氏より来れり所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経蘇悉地経開元八年には金剛智不空の両三蔵の金剛頂経此

くの如く三経を天竺より漢土に持ち来り、天台の釈を見聞して智発して釈を作つて大日経と法華経とを一経と為

し其の上印真言を加えて密教と号し之に勝るの由、結句権教を以て実教を下す漢土の学者此の事を知らず。

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 像法の末八百年に相当つて伝教大師和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみに非ずしかのみなら

ず南岳天台も未だ弘めたまわざる円頓戒壇を叡山に建立す、日本一州の学者一人も残らず大師の門弟と為る、但

天台と真言との勝劣に於ては誑惑と知つて而も分明ならず、所詮末法に贈りたもうか此等は傍論為るの故に且ら

く之を置く、吾が師伝教大師三国に未だ弘まらざるの円頓の大戒壇を叡山に建立したもう此れ偏に上薬を持ち用

いて衆生の重病を治せんと為る是なり。

 今末法に入つて二百二十余年五濁強盛にして三災頻りに起り衆見の二濁国中に充満し逆謗の二輩四海に散在す

、専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙謗法の者を尊重して国師と為す、孔丘の孝経之を提げて父母の頭を打ち釈

尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す不孝国は此の国なり勝母の閭他境に求めじ、故に青天眼を瞋らして此

の国を睨み黄地は憤りを含んで大地を震う、去る正嘉元年の大地動文永元年の大彗星此等の夭災は仏滅後二千二

百二十余年の間月氏漢土日本の内に未だ出現せざる所の大難なり、彼の弗舎密多羅王の五天の寺塔を焼失し漢土

の会昌天子の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千倍なり大謗法の輩国中に充満し一天に弥るに依つて

起る所の夭災なり、大般涅槃経に云く「末法に入つて不孝謗法の者大地微塵の如し」[取意]、法滅尽経に「法

滅尽の時は狗犬の僧尼恒河沙の如し」等云云[取意]、今親り此の国を見聞するに人毎に此の二の悪有り此等の

大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救せん、大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめん

が為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬

の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師

子の座を並べ敷き衆星の如く列座したもう、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は華厳寂場

の華蔵世界にも勝れ真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり、

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此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩に諌暁せしむ、金色世界の文殊師利兜史多宮の

弥勒菩薩宝浄世界の智積菩薩補陀落山の観世音菩薩等頭陀第一の大迦葉智慧第一の舎利弗等三千世界を統領する

無量の梵天須弥の頂に居住する無辺の帝釈一四天下を照耀せる阿僧祗の日月十方の仏法を護持する恒沙の四天王

大地微塵の諸の竜王等我にも我にも此の経を付嘱せられよと競い望みしかども世尊都て之を許したまわず、爾の

時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出したもう、所謂上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩なり、

此の大菩薩各各六万恒河沙の眷属を具足す形貌威儀言を以て宣べ難く心を以て量るべからず、初成道の法慧功徳

林金剛幢金剛蔵等の四菩薩各各十恒河沙の眷属を具足し仏会を荘厳せしも大集経の欲色二界の中間大宝坊に於て

来臨せし十方の諸大菩薩乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も此の四大

菩薩に比すれば猶帝釈と猿猴と華山と妙高との如し、弥勒菩薩衆の疑を挙げて云く「乃一人をも識らず」等云

云、天台大師云く「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず限る可からずと雖も我れ補処の智力を以て

悉く見悉く知る而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云、妙楽云く「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は

起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天台又云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深き

を知る」云云、例せば漢王の四将の張良樊●陳平周勃の四人を商山の四皓綺里枳角里先生東園公夏黄公等の四賢

に比するが如し天地雲泥なり、四皓が為体頭には白雪を頂き額には四海の波を畳み眉には半月を移し腰には多羅

枝を張り恵帝の左右に侍して世を治められたる事尭舜の古を移し一天安穏なりし事神農の昔にも異ならず、此の

四大菩薩も亦復是くの如し法華の会に出現し三仏を荘厳し謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く衆

会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従うが如く提婆が仏を打ちしも舌を出して掌を合せ瞿伽梨が無実を構えしも地

に臥して失を悔ゆ、文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出さず舎利弗等の小聖は智を失して頭を低る、

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爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞ

や、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せ

ば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四

大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八

年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観

音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の

間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、法華経の分別功徳品

に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」云云、涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず然も病

者に於て心則ち偏に重きが如し」云云、法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」

云云、七子の中に上の六子は且らく之を置く第七の病子は一闡提の人五逆謗法の者末代悪世の日本国の一切衆生

なり、正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ、後の五百年には他方来の菩薩大体本土に還り向い了

んぬ、像法に入つての一千年には文殊観音薬王弥勒等南岳天台と誕生し傅大士行基伝教等と示現して衆生を利益

す。

 今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ、其の外、閻浮守護の天神地祗も或は他方に去り或は此の土

に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し、例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られ

ざるが如し大苦忍び難きが故なり、而るに地涌千界の大菩薩一には娑婆世界に住すること多塵劫なり二には釈尊

に随つて久遠より已来初発心の弟子なり三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり、是くの如き等の宿縁の方

便諸大菩薩に超過せり。

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 問うて日く其の証拠如何、法華第五涌出品に云く「爾の時に他方の国土より諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙

の数に過ぎたる乃至爾の時に仏諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく止みね善男子汝等が此の経を護持せんことを須

いじ」等云云、天台云く「他方は此の土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無し」云云、妙楽云く「尚

偏に他方の菩薩に付せず豈独り身子のみならんや」云云、又云く「告八万大士とは乃至今の下の文に下方を召す

が如く尚本眷属を待つ験し余は未だ堪えざることを」云云、経釈の心は迦葉舎利弗等の一切の声聞文殊薬王観音

弥勒等の迹化他方の諸大士は末世の弘経に堪えずと云うなり、経に云く「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩

薩摩訶薩有り一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く此の経を説

かん、仏是を説きたもう時娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有り同時

に涌出せり、乃至是の菩薩衆の中に四たり導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四を

ば安立行と名く其の衆の中に於て最も為上首唱導の師なり」等云云、天台云く「是れ我が弟子応に我が法を弘む

べし」云云、妙楽云く「子父の法を弘む」云云道暹云く「付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾

る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚

の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水

を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し、天台云く「猶百川の海に潮すべきが如し縁に牽れて応生するも亦

復是くの如し」云云。

 慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘

通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん釈尊然後正像二千年の衆生の為

に宝塔より出でて虚空に住立し右の手を以て文殊観音梵帝日月四天等の頂を摩でて

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是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年

の機の為なり、其の後涅槃経の会に至つて重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて文殊等の諸大菩薩に授与し

たもう、此等はロ拾の遺属なり。

 爰を以て滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法の限り有り然れば則ち迦葉阿難等は一向に小乗経を弘通し

て大乗経を申べず、竜樹無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず、設い之を申べしかども纔かに以て之を指

示し或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず、南岳天台等は観音薬王等の化身と為て小大権実迹

本二門化道の始終師弟の遠近等悉く之を宣べ其の上に已今当の三説を立てて一代超過の由を判ぜること天竺の諸

論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり旧訳新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず、

然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず自身之を存すと雖も敢て他伝に及ばず此れ偏に付属を重んぜ

しが故なり、伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗大乗一乗の諸戒一一に之を

分別し梵網瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の

戒を責め下す、此の大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す、然る間八

宗共に偏執を倒し一国を挙げて弟子と為る、観勒の流の三論成実道昭の渡せる法相倶舎良弁の伝うる所の華厳宗

鑒真和尚の渡す所の律宗弘法大師の門弟等誰か円頓の大戒を持たざらん此の義に違背するは逆路の人なり、此の

戒を信仰するは伝教大師の門徒なり日本一州円機純一朝野遠近同帰一乗とは是の謂か、此の外は漢土の三論宗の

吉蔵大師並びに一百余人法相宗の慈恩大師華厳宗の法蔵澄観真言宗の善無畏金剛智不空慧果日本の弘法慈覚等の

三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり愚人なり、経に於ては大小権実の旨を弁えず顕密両道の趣を知らず論

に於ては通申と別申とを糾さず申と不申とを暁めず、

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然りと雖も彼の宗宗の末学等此の諸師を崇敬して之を聖人と号し之を国師と尊ぶ今先ず一を挙げんに万を察せよ

 弘法大師の十住心論秘蔵宝鑰二教論等に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」又

云く「無明の辺域」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云、釈の心は法華の大法を華厳

と大日経とに対して戯論の法と蔑り無明の辺域と下し剰え震旦一国の諸師を盗人と罵る、此れ等の謗法謗人は慈

恩得一の三乗真実一乗方便の誑言にも超過し善導法然が千中無一捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり、六波羅蜜経

をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず南三北七の碩徳未だ此の

経を見ず三論天台法相華厳の人師誰人か彼の経の醍醐を盗まんや、又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずというの

文之有りや不や、而るに日本国の東寺の門人等堅く之を信じて種種に僻見を起し非より非を増し暗より暗に入る

不便の次第なり。

 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏驢牛の三身は車を扶くるこ

と能ず秘奥なる者は両部曼陀羅の教顕乗の四法の人は履をも取るに能えず」云云、三論天台法相華厳等の元祖等

を真言の師に相対するに牛飼にも及ばず力者にも足らずと書ける筆なり、乞い願わくは彼の門徒等心在らん人は

之を案ぜよ大悪口に非ずや大謗法に非ずや、所詮此等の誑言は弘法大師の望後作戯論の悪口より起るか、教主釈

尊多宝十方の諸仏は法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め然る後世尊は霊山に隠居し多宝諸仏は

各本土に還りたまいぬ、三仏を除くの外誰か之を破失せん。

 就中弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文之有りや不や、弘法既に之を出さず末学の智如何せん而るに

弘法大師一人のみ法華経を華厳大日の二経に相対して戯論盗人と為す所詮釈尊多宝十方の諸仏を以て盗人と称す

るか末学等眼を閉じて之を案ぜよ。

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問うて日く昔より已来未だ曾て此くの如きの謗言を聞かず何ぞ上古清代の貴僧に違背して寧ろ当今濁世の愚侶を

帰仰せんや、答えて曰く汝が言う所の如くば愚人は定んで理運なりと思わんか然れども此等は皆人の偽言に因つ

て如来の金言を知らざるなり、大覚世尊涅槃経に滅後を警めて言く「善男子我が所説に於て若し疑を生ずる者は

尚受くべからず」云云、然るに仏尚我が所説なりと雖も不審有らば之を叙用せざれとなり、今予を諸師に比べて

謗難を加う、然りと雖も敢て私曲を構えず専ら釈尊の遺誡に順つて諸人の謬釈を糾すものなり。

 夫れ斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間南北の碩徳光宅智誕等の二百余人涅槃経の「我等悉名邪見之

人」の文を引いて法華経を以て邪見之経と定め一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ、陳隋の比智者大師之を糾

明せし時始めて南北の僻見を破り了んぬ、唐の始めに太宗の御宇に基法師勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説即

是大乗無有二乗」の文を引いて一乗方便三乗真実の義を立つ此の邪義震旦に流布するのみに非ず、日本の得一が

称徳天皇の御時盛んに非義を談ず、爰に伝教大師悉く彼の邪見を破し了んぬ、後鳥羽院の御代に源空法然観無量

寿経の読誦大乗の一句を以て法華経を摂入し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ」等云云

 然りと雖も五十余年の間南都北京五畿七道の諸寺諸山の衆僧等此の悪義を破ること能はざりき予が難破分明為

るの間一国の諸人忽ち彼の選択集を捨て了んぬ根露るれば枝枯れ源乾けば流竭くとは蓋し此の謂なるか、加之な

らず唐の半玄宗皇帝の御代に善無畏不空等大日経の住心品の如実一道心の一句に於て法華経を摂入し返つて権経

と下す、日本の弘法大師は六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経涅槃経等を摂入し

第五の陀羅尼蔵に相対して争つて醍醐を盗む等云云、此等の禍咎は日本一州の内四百余年今に未だ之を糾明せし

人あらず予が所存の難勢メく一国に満つ必ず彼の邪義を破られんか此等は且らく之を止む。

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 迦葉阿難等竜樹天親等天台伝教等の諸大聖人知つて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり

論釈等に載せざること明明なり生知は自ら知るべし賢人は明師に値遇して之を信ぜよ罪根深重の輩は邪推を以て

人を軽しめ之を信ぜず且く耳に停め本意に付かば之を喩さん、大集経の五十一に大覚世尊月蔵菩薩に語つて云く

「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固次の五百年は禅定堅固、[已上一千年]次の五百年は読誦多聞堅固次の

五百年は多造塔寺堅固[已上二千年]次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云、今末

法に入つて二百二十余年我法中闘諍言訟白法隠没の時に相当れり、法華経の第七薬王品に教主釈尊多宝仏と共に

宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔魔民諸の天竜

夜叉鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」大集経の文を以て之を案ずるに前四箇度の五百年は仏の記文の如

く既に符合せしめ了んぬ、第五の五百歳の一事豈唐捐ならん、随つて当世の体為る大日本国と大蒙古国と闘諍合

戦す第五の五百に相当れるか、彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに後五百歳中広宣流布於閻浮提の鳳

詔豈扶桑国に非ずや、弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云、慈氏菩

薩仏の滅後九百年に相当つて無著菩薩の請に赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す、是れ或は権機に随い或は

付属に順い或は時に依つて権経を弘通す、然りと雖も法華経の涌出品の時地涌の菩薩を見て近成を疑うの間仏請

に赴いて寿量品を演説し分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧奨して云く「悪世末法の時能く是の経を持たん者」

と、弥勒菩薩自身の付属に非ざれば之を弘めずと雖も親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に瑜伽

論を説くの時末法に日本国に於て地涌の菩薩法華経の肝心を流布せしむ可きの由兼ねて之を示すなり、肇公の翻

経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く仏日西に入つて

遺耀将に東に及ばんとす此の経典東北に縁有り汝慎んで伝弘せよ」云云、予此の記の文を拝見して両眼滝の如く

一身悦びをメくす、

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「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有り

とは豈日本国に非ずや、遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し

」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天

より出ずるに似たり、根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初地を尋ぬれば唐の東羯の西人を原ぬ

れば則ち五濁の生闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るが故に」云云、又云く「正像稍

過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり何を以て知る事を得ん安楽行品に云く末世

法滅の時なり」云云此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか、伝教大師の語は我が時に似て心は

末法を楽いたもうなり、大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり、大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の

時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る全く第五闘諍堅固の時に非ず、而るに余処の釈に末法太有近の言は有り定

めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。

 予倩事の情を案ずるに大師薬王菩薩として霊山会上に侍して仏上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に

粗之を喩すか、而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に前立ちて粗五字を示す例

せば西王母の先相には青鳥客人の来るには跛Fの如し、此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置

し八宗の章疏を習学すべし然れば則ち予所持の聖教多多之有り、然りと雖も両度の御勘気衆度の大難の時は或は

一巻二巻散失し或は一字二字脱落し或は魚魯の謬ワ或は一部二部損朽す、若し黙止して一期を過ぐるの後には弟

子等定んで謬乱出来の基なり、爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す、而るに風聞の如くんば貴辺並び

に大田金吾殿越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめ

たまえ、涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云、

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天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。

 仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云、法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」

云云、国主正法を弘通すれば必ず此の徳を備う臣民等此の法を守護せんに豈家内の大難を払わざらんや、又法華

経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云

云、又云く「此の人は現世に白癩の病いを得ん」又云く「頭破れて七分と作らん」又第二巻に云く「経を読誦し

書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云、第五の巻に

云く「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」云云、伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無

間に開く」等云云、安明とは須弥山の名なり、無間とは阿鼻の別名なり、国主持者を誹謗せば位を失い臣民行者

を毀呰すれば身を喪す一国を挙りて用いざれば定めて自反他逼出来せしむべきなり、又上品の行者は大の七難中

品の行者は二十九難の内下品の行者は無量の難の随一なり、又大の七難に於て七人有り第一は日月の難なり第一

の内に又五の大難有り所謂日月度を失し時節反逆し或は赤日出で或は黒日出で二三四五の日出ず或は日蝕して光

無く或は日輪一重二三四五重輪現ぜん、又経に云く「二の月並び出でん」と、今此の国土に有らざるは二の日二

の月等の大難なり余の難は大体之有り、今此の亀鏡を以て日本国を浮べ見るに必ず法華経の大行者有るか、既に

之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん。

 今両人微力を励まし予が願に力を副え仏の金言を試みよ経文の如く之を行ぜんに徴無くんば釈尊正直の経文多

宝証明の誠言十方分身の諸仏の舌相有言無実と為らんか、提婆の大妄語に過ぎ瞿伽利の大誑言に超えたらん日月

地に落ち大地反覆し天を仰いで声を発し地に臥して胸を押う殷の湯王の玉体を薪に積み戒日大王の竜顔を火に入

れしも今此の時に当るか、若し此の書を見聞して宿習有らば其の心を発得すべし、使者に此の書を持たしめ早早

北国に差し遣し

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金吾殿の返報を取りて速速是非を聞かしめよ、此の願若し成ぜば崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり大海の

宝珠招かざるに掌に在らん、恐惶謹言。

= 下春十日                    日蓮花押

%  曾谷入道殿

%  大田金吾殿