兵衛志殿御返事

兵衛志殿御返事 /建治元年十一月 五十四歳御作

+ 於身延

かたがたのものふ二人をもつてをくりたびて候、その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候、さてはなによりも御

ために第一の大事を申し候なり、正法像法の時は世もいまだをとろへず聖人賢人もつづき生れ候き天も人をまほ

り給いき、末法になり候へば人のとんよくやうやくすぎ候て主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし、まして他

人は申すに及ばず、これによりて天もその国をすつれば三災七難乃至一二三四五六七の日いでて草木かれうせ小

大河もつき大地はすみのごとくをこり大海はあぶらのごとくになりけつくは無間地獄より炎いでて上梵天まで火

炎充満すべし、これていの事いでんとてやうやく世間はをとへ候なり、皆人のをもひて候は父には子したがひ臣

は君にかなひ弟子は師にゐすべからずと云云、かしこき人もいやしき者もしれる事なり、しかれども貪欲瞋恚愚

癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候、但師と主と親とに随いてあしき事を

ば諌ば孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。

ただこのたびゑもん(右衛門)の志どのかさねて親のかんだうありとのの御前にこれにて申せしがごとく一定

かんだうあるべしひやうへの志殿をぼつかなしごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり今度はとのは一

定をち給いぬとをぼうるなり

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をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり千年のか

るかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり、さえもんの大夫殿は今度法華経のか

たきになりさだまり給うとみへて候、えもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん、とのは現

前の計なれば親につき給はんずらむ、ものぐるわしき人人はこれをほめ候べし、宗盛が親父入道の悪事に随いて

しのわらにて頚を切られし重盛が随わずして先に死せしいづれか親の孝人なる、法華経のかたきになる親に随い

て一乗の行者なる兄をすてば親の孝養となりなんや、せんするところひとすぢにをもひ切つて兄と同じく仏道を

なり給へ、親父は妙荘厳王のごとし兄弟は浄蔵浄眼なるべし、昔と今はかわるとも法華経のことわりはたがうべ

からず当時も武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり、ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて

心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな、かへすがへす今度とのは堕べしとをぼうるなり。

此の程心ざしありつるがひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり、百に一つ千に一つも日蓮が

義につかんとをぼさば親に向つていい切り給へ親なればいかにも順いまいらせ候べきが法華経の御かたきになり

給へばつきまいらせては不孝の身となりぬべく候へばすてまいらせて兄につき候なり、兄をすてられ候わば兄と

一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしもをそるる心なかれ過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ

事これなり、しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の

仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり、此の事はわ

ざとも申し又びんぎにとをもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならばよもこの御使はあらじとをもひ候へばも

しやと申すなり。

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仏になり候事は此の須弥山にはりをたてて彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとのすぐにわたりてはりの

あなに入るよりもかたし、いわうやさかさまに大風のふきむかへたらんはいよいよかたき事ぞかし、経に云く「

億億万劫より不可議に至る時に乃ち是の法華経を聞くことを得億億万劫より不可議に至る諸仏世尊時に是の経を

説きたもう是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云、此の経文は法華

経二十八品の中にことにめづらし、序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天四衆八部其のかずありしかども

仏は但釈迦如来一仏なり重くてかろきへんもあり、宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重

きなり、其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり月の前に日の出でたるがごとし、又十方の諸仏は樹下に御

はします十方世界の草木の上に火をともせるがごとし、此の御前にてせんせられたる文なり。

 涅槃経に云く「昔無数無量劫より来た常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積む所の骨は王舎城の毘富羅山

の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して

出す所の目涙は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の籌と為し以て父母を数うも亦尽くすこと能わじ」云

云、此の経文は仏最後に雙林の本に臥てかたり給いし御言なりもつとも心をとどむべし、無量劫より已来生とこ

ろの父母は十方世界の大地の草木を四寸に切りてあてかぞうともたるべからずと申す経文なり、此等の父母には

あひしかども法華経にはいまだあわず、されば父母はまうけやすし法華経はあひがたし、今度あひやすき父母の

ことばをそむきてあひがたき法華経のともにはなれずば我が身仏になるのみならずそむきしをやをもみちびきな

ん、例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり国をもゆづり位にもつけんとをぼしてすでに御位につけまいらせたりし

を御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給いしかば不孝の者なりとうらみさせ給いしかども仏にならせ給うては

まづ浄飯王麻耶夫人をこそみちびかせ給いしか。

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をやというをやの世をすてて仏になれと申すをやは一人もなきなり、これはとによせかくによせてわどのばら

を持斎念仏者等がつくりをとさんためにをやをすすめをとすなり、両火房は百万反の念仏をすすめて人人の内を

せきて法華経のたねをたたんとはかるときくなり、極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし、念仏者等にたぼらかされ

て日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給うただいまはへちごの守殿一人計りなり、両火

房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか、なごへの一門の善光寺長楽寺大仏殿立てさせ給いて其の一門のな

らせ給う事をみよ、又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなるかたきをへさせ給へり。

わどの兄をすててあにがあとをゆづられたりとも千万年のさかへかたかるべし、しらず又わづかの程にやいか

んがこのよならんずらん、よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし、かう申すともいたづらのふみなる

べしとをもへば、かくもものうけれどものちのをもひでにしるし申すなり、恐恐謹言。

= 十一月二十日 日蓮花押

% 兵衛志殿御返事

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