兵衛志殿御書

兵衛志殿御書

久しくうけ給わり候はねばよくおぼつかなく候、何よりもあはれにふしぎ(不思議)なる事は大夫志殿と殿と

の御事不思議に候、常さまには世末になり候へば聖人賢人も皆かくれただざんじむねいじんわざんきよくりの者

のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩えば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず、

代の末になり候へばかんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心もせばくなり道心ある人も邪見になる

とこそ見へて候へ、されば他人はさてをきぬ父母と夫妻と兄弟と諍う事れつしとしかとねことねずみとたかとき

じとの如しと見へて候、良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせし

に、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに二のわの車をたすけ二の足の人をになへるが如く二

の羽のとぶが如く日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御

計らい偏に貴辺の御身にあり、又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちにみだれば大聖人世に出ず

べしと見へて候、喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見

えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ、あはれ平の左衛門殿さがみ殿の日蓮をだに用いられて候いしかば

、すぎにし蒙古国の朝使のくびはよも切せまいらせ候はじ、くやしくおはすらなん。

人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主明雲等の真言師等数百人かたらひて源の右将軍頼朝を調伏せし

かば還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ安徳天皇は西海に沈み給う、人王八十二三四隠岐の法皇阿波の院佐渡

の院当今已上四人座主慈円僧正御室三井等の四十余人の高僧等をもて平の将軍義時を調伏し給う程に又還著於本

人とて上の四王島島に放たれ給いき、

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此の大悪法は弘法慈覚智証の三大師法華経最第一の釈尊の金言を破りて法華最第二最第三大日経最第一と読み給

いし僻見を御信用有りて今生には国と身とをほろぼし後生には無間地獄に堕ち給いぬ、今度は又此の調伏三度な

り、今我が弟子等死したらん人人は仏眼をもて是を見給うらん、命つれなくて生たらん眼に見よ、国主等は他国

へ責めわたされ調伏の人人は或は狂死或は他国或は山林にかくるべし、教主釈尊の御使を二度までこうぢをわた

し弟子等をろうに入れ或は殺し或は害し或は所国をおひし故に其の科必ず其の国国万民の身に一一にかかるべし

、或は又白癩黒癩諸悪重病の人人おほかるべし、我が弟子等此の由を存ぜさせ給へ、恐恐謹言。

= 九月九日 日蓮花押

 此の文は別しては兵衛の志殿へ、総じては我が一門の人人御覧有るべし、他人に聞かせ給うな。

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