兵衛志殿御返事

兵衛志殿御返事 /弘安元年十一月 五十七歳御作

+ 於身延

銭六貫文の内[一貫次郎よりの分]白厚綿小袖一領四季にわたりて財を三宝に供養し給ういづれもいづれも功

徳にならざるはなし、但し時に随いて勝劣浅深わかれて候、うへたる人には衣をあたへたるよりも食をあたへて

候はいますこし功徳まさるこごへたる人には食をあたへて候よりも衣は又まさる春夏に小袖をあたへて候よりも

秋冬にあたへぬれば又功徳一倍なり、これをもつて一切はしりぬべし、ただし此の事にをいては四季を論ぜず日

月をたださずぜにこめかたびらきぬこそで日日月月にひまなし、例せばびんばしやらわう(頻婆沙羅王)の教主

釈尊に日日に五百輛の車ををくり阿育大王の十億の沙金を鶏頭魔寺にせせしがごとし、大小ことなれども志は彼

にもすぐれたり。

其の上今年は子細候、ふゆと申すふゆいづれのふゆかさむからざる、なつと申すなついづれのなつかあつから

ざる、ただし今年は余国はいかんが候らんこのはきゐ(波木井)は法にすぎてかんじ候、ふるきをきなどもにと

ひ候へば八十九十一百になる者の物語り候はすべていにしへこれほどさむき事候はず、此のあんじちより四方の

山の外十町二十町人かよう事候はねばしり候はず、きんぺん一町のほどはゆき一丈二丈五尺等なり、このうるう

十月卅日ゆきすこしふりて候しがやがてきへ候ぬ、この月の十一日たつの時より十四日まで大雪ふりて候しに両

三日へだててすこし雨ふりてゆきかたくなる事金剛のごとしいまにきゆる事なし、ひるもよるもさむくつめたく

候事法にすぎて候、さけはこをりて石のごとく、あぶらは金ににたり、なべかまは小し水あればこおりてわれか

んいよいよかさなり候へば、きものうすく食ともしくしてさしいづるものもなし。

 坊ははんさくにてかぜゆきたまらずしきものはなし、木はさしいづるものもなければ火もたかず、

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ふるきあかづきなんどして候こそで一なんどきたるものは其身のいろ紅蓮大紅蓮のごとし、こへははは大ばば地

獄にことならず、手足かんじてきれさけ人死ぬことかぎりなし、俗のひげをみればやうらくをかけたり、僧のは

なをみればすずをつらぬきかけて候、かかるふしぎ候はず候に去年の十二月の卅日よりはらのけの候しが春夏や

むことなし、あきすぎて十月のころ大事になりて候しがすこして平愈つかまつりて候へどもややもすればをこり

候に、兄弟二人のふたつの小袖わた四十両をきて候が、なつのかたびらのやうにかろく候ぞましてわたうすくた

だぬのものばかりのものをもひやらせ給へ、此の二のこそでなくば今年はこごへしに候なん。

其上兄弟と申し右近の尉の事と申し食もあいついて候、人はなき時は四十人ある時は六十人、いかにせき候へ

どもこれにある人人のあにとて出来し舎弟とてさしいでしきゐ候ぬればかかはやさにいかにとも申しへず心には

しずかに、あじちむすびて小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候

はず、又としあけ候わばいづくへもにげんと存じ候ぞ、かかるわづらわしき事候はず又又申すべく候。

なによりもえもんの大夫志ととのとの御事ちちの御中と申し上のをぼへと申し面にあらずば申しつくしがたし

、恐恐謹言。

= 十一月廿九日 日蓮花押

% 兵衛志殿御返事

P1100