八幡宮造営事

八幡宮造営事 /弘安四年五月 六十歳御作

此の法門申し候事すでに廿九年なり、日日の論義月月の難両度の流罪に身つかれ心いたみ候いし故にや此の七

八年間が間年年に衰病をこり候いつれどもなのめにて候いつるが、今年は正月より其の気分出来して既に一期を

わりになりぬべし、其の上齢既に六十にみちぬ、たとひ十に一今年はすぎ候とも一二をばいかでかすぎ候べき、

忠言は耳に逆い良薬は口に苦しとは先賢の言なりやせ病の者は命をきらう佞人は諌を用いずと申すなり、此の程

は上下の人人の御返事申す事なし心もものうく手もたゆき故なり、しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍ん

で申すものうしとおぼすらん一篇きこしめすべし、村上天皇の前中書王の書を投げ給いしがごとくなることなか

れ。

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さては八幡宮の御造営につきて一定さむそうや有らんずらむと疑いまいらせ候なり、をやと云ひ我が身と申し

二代が間きみにめしつかはれ奉りてあくまで御恩のみなり、設一事相違すともなむのあらみかあるべき、わがみ

賢人ならば設上よりつかまつるべきよし仰せ下さるるとも一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし、幸に讒

臣等がことを左右によせば悦んでこそあるべきに望まるる事一の失なり、此れはさてをきぬ五戒を先生に持ちて

今生に人身を得たり、されば云うに甲斐なき者なれども国主等謂なく失にあつれば守護の天いかりをなし給う況

や命をうばわるる事は天の放ち給うなり、いわうや日本国四十五億八万九千六百五十九人の男女をば四十五億八

万九千六百五十九の天まほり給うらん、然るに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見え候はぬは、四十五億八

万九千六百五十九人の人人の天にも捨てられ給う上六欲四禅梵釈日月四天等にも放たれまいらせ給うにこそ候い

ぬれ、然るに日本国の国主等八幡大菩薩をあがめ奉りなばなに事のあるべきと思はるるが、八幡は又自力叶いが

たければ宝殿を焼きてかくれさせ給うか、然るに自の大科をばかへりみず宝殿を造りてまほらせまいらせむとお

もへり。

日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が釈迦多宝十方分身の諸仏地涌と娑婆と他方との諸大士十

方世界の梵釈日月四天に捨てられまひらせん分斉の事ならばはづかなる日本国の小神天照太神八幡大菩薩の力及

び給うべしや、其の時八幡宮はつくりたりとも此の国他国にやぶらればくぼきところにちりたまりひききところ

に水あつまると、日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は兼て又知れり、八幡大菩薩は本地は阿弥

陀ほとけにまします、衛門の大夫は念仏無間地獄と申す阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ其の堂をやきはらひ念仏

者のくびを切れと申す者なり、かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども八幡大菩薩用いさせ給

はぬゆへに此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき、

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然るに天かねて此の事をしろしめすゆへに御造営の大ばんしやうをはづされたるにやあるらむ 神宮寺の事のは

づるるも天の御計いか。

其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり風は是れ天地の

使なりまつり事あらければ風あらしと申すは是なり、又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る、而るに四月廿

六日は八幡のむね上と承はる、三日の内の大風は疑なかるべし、蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふき

たらむに人わらひさたせざるべしや。

返す返す穏便にしてあだみうらむる気色なくて身をやつし下人をもぐせずよき馬にものらず、のこぎりかなづ

ち手にもちこしにつけてつねにえめるすがたてにておわすべし、此の事一事もたがへさせ給うならば今生には身

をほろぼし後生には悪道に堕ち給うべし、返す返す法華経うらみさせ給う事なかれ、恐恐。

= 五月廿六日 在御判

% 大夫志殿

%  兵衛志殿

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