四条金吾殿女房御返事

四条金吾殿女房御返事 /文永十二年正月 五十四歳御作

 所詮日本国の一切衆生の目をぬき神をまどはかす邪法真言師にはすぎず是は且らく之を置く、十喩は一切経と

法華経との勝劣を説かせ給うと見えたれども仏の御心はさには候はず、一切経の行者と法華経の行者とをならべ

て法華経の行者は日月等のごとし諸経の行者は衆星燈炬のごとしと申す事を詮と思し食され候、なにをもつてこ

れをしるとならば第八の譬の下に最大事の文あり、所謂此の経文に云く「有能受持是経典者亦復如是於一切衆生

中亦為第一」等云云、此の二十二字は一経第一の肝心なり一切衆生の眼目なり、文の心は法華経の行者は日月大

梵王仏のごとし、大日経の行者は衆星江河凡夫のごとしととかれて候経文なり、されば此の世の中の男女僧尼は

嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ、梵王帝釈はあをがせ給うらめと

うれしさ申すばかりなし、又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば常の法華経の行者にては候はぬにはんべり

、是経典者とて者の文字はひととよみ候へば此の世の中の比丘比丘尼うば塞うばい(優婆夷)の中に法華経を信

じまいらせ候人人かと見えまいらせ候へばさにては候はず、次下の経文に此の者の文字を仏かさねてとかせ給う

て候には若有女人ととかれて候、日蓮法華経より外の一切経をみ候には女人とはなりたくも候はず、或経には女

人をば地獄の使と定められ或経には大蛇ととかれ或経にはまがれ木のごとし或経には仏種をいれる者とこそとか

れて候へ、仏法ならず外典にも栄啓期と申せし者の三楽をうたひし中に無女楽と申して天地の中女人と生れざる

事を一の楽とこそたてられて候へ、わざわひは三女よりをこれりと定められて候に、此の法華経計りに此の経を

持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず一切の男子にこえたりとみえて候、

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所詮一切の人にそしられて候よりも女人の御ためにはいとをしとをもはしき男にふびんとをもはれたらんにはす

ぎじ、一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏多宝仏十方の諸仏乃至梵王帝釈日月等にだにもふびんとをもはれまい

らせなばなにかくるしかるべき、法華経にだにもほめられたてまつりなばなにかくるしかるべき。

 今三十三の御やくとて御布施送りたびて候へば釈迦仏法華経日天の御まへに申し上て候、又人の身には左右の

かたあり、このかたに二つの神をはします一をば同名二をば同生と申す、此の二つの神は梵天帝釈日月の人をま

ほらせんがために母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで影のごとく眼のごとくつき随いて候が、人の

悪をつくり善をなしなむどし候をばつゆちりばかりものこさず天にうたへまいらせ候なるぞ。

 華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給へり、但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれど

もすつるとみえて候、例せば大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波

ちゐさきは自然の道理なり、而るにさえもん(左衛門)殿は俗の中日本にはかたをならぶべき者もなき法華経の

信者なり、是にあひつれさせ給いぬるは日本第一の女人なり、法華経の御ためには竜女とこそ仏はをぼしめされ

候らめ、女と申す文字をばかかるとよみ候、藤の松にかかり女の男にかかるも今は左衛門殿を師とせさせ給いて

法華経へみちびかれさせ給い候へ。

 又三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給うべし、七難即滅七福即生とは是なり、年はわかうなり

福はかさなり候べし、あなかしこあなかしこ。

=   正月二十七日                   日蓮花押

%   四条金吾殿女房御返事

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