王舎城事

王舎城事   /建治元年四月  五十四歳御作

+                           与四条金吾

銭一貫五百文給び候い畢んぬ、焼亡の事委く承つて候事悦び入つて候、大火の事は仁王経の七難の中の第三の

火難法華経の七難の中には第一の火難なり、夫れ虚空をば剣にてきることなし水をば火焼くことなし、聖人賢人

福人智者をば火やくことなし、例せば月氏に王舎城と申す大城は在家九億万家なり、七度まで大火をこりてやけ

ほろびき、万民なげきて逃亡せんとせしに大王なげかせ給う事かぎりなし、其の時賢人ありて云く七難の大火と

申す事は聖人のさり王の福の尽くる時をこり候なり、然るに此の大火万民をばやくといえども内裏には火ちかづ

くことなし、知んぬ王のとがにはあらず万民の失なりされば万民の家を王舎と号せば火神名にをそれてやくべか

らずと申せしかば、さるへんもとて王舎城とぞなづけられしかばそれより火災とどまりぬ、されば大果報の人を

ば大火はやかざるなり。

 これは国王已にやけぬ知んぬ日本国の果報のつくるしるしなり、然に此の国は大謗法の僧等が強盛にいのりを

なして日蓮を降伏せんとする故に弥弥わざはひ来るにや、其の上名と申す事は体を顕し候に両火房と申す謗法の

聖人鎌倉中の上下の師なり、一火は身に留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候

ぬ、又一火は現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき先表なり、愚

癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり、不便不便、先先御文まいらせ候しなり。

 御馬のがいて候へば又ともびきしてくり毛なる馬をこそまうけて候へ、あはれあはれ見せまいらせ候はばや、

名越の事は是にこそ多くの子細どもをば聞えて候へ、ある人のゆきあひて理具の法門自讃しけるをさむざむにせ

めて候けると承り候。

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 又女房の御いのりの事法華経をば疑ひまいらせ候はねども御信心やよはくわたらせ給はんずらん、如法に信じ

たる様なる人人も実にはさもなき事とも是にて見て候、それにも知しめされて候、まして女人の御心風をばつな

ぐともとりがたし、御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく太刀つるぎにてつかう人の臆病なる

やうにて候べし、あへて法華経の御とがにては候べからず、よくよく念仏と持斎とを我もすて人をも力のあらん

程はせかせ給へ、譬へば左衛門殿の人ににくまるるがごとしとこまごまと御物語り候へ、いかに法華経を御信用

ありとも法華経のかたきをとわりほどにはよもおぼさじとなり、一切の事は父母にそむき国王にしたがはざれば

不孝の者にして天のせめをかうふる、ただし法華経のかたきになりぬれば父母国主の事をも用ひざるが孝養とも

なり国の恩を報ずるにて候。

 されば日蓮は此の経文を見候しかば父母をすりてせいせしかども師にて候し人かんだうせしかども鎌倉殿の御

勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへ

んもあるやらん、日本国に国主父母師匠の申す事を用いずしてついに天のたすけをかほる人は日蓮より外は出し

がたくや候はんずらん、是より後も御覧あれ日蓮をそしる法師原が日本国を祈らば弥弥国亡ぶべし、結句せめの

重からん時上一人より下万民までもとどりをわかつやつことなりほぞをくうためしあるべし、後生はさてをきぬ

今生に法華経の敵となりし人をば梵天帝釈日月四天罰し給いて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候、日蓮法華

経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし、かう申せば国主等は此の法師のをどすと思へるか、あへてにく

みては申さず大慈大悲の力無間地獄の大苦を今生にけさしめんとなり、章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち

是れ彼が親なり」等云云、かう申すは国主の父母一切衆生の師匠なり、事事多く候へども留候ぬ、

P1139

又麦の白米一だはしかみ送り給び候い畢んぬ。

=建治元年乙亥卯月十二日            日蓮花押

%  四条金吾殿御返事