四条金吾殿御返事

四条金吾殿御返事

 正法をひろむる事は必ず智人によるべし、故に釈尊は一切経をとかせ給いて小乗経をば阿難大乗経をば文殊師

利法華経の肝要をば一切の声聞文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授けさせ給いき、設い正法を持

てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき然れば釈迦仏の檀那は梵王帝釈の二人なりこれは二人ながら天の

檀那なり、仏は六道の中には人天人天の中には人に出でさせ給う人には三千世界の中央五天竺五天竺の中には摩

竭堤国に出でさせ給いて候しに、彼の国の王を檀那とさだむべき処に彼の国の阿闍世王は悪人なり、聖人は悪王

に生れあふ事第一の怨にて候しぞかし、阿闍世王は賢王なりし父をころす、又うちそふわざはひと堤婆達多を師

とせり、達多は三逆罪をつくる上仏の御身より血を出だしたりし者ぞかし、不孝の悪王と謗法の師とよりあひて

候しかば人間に二のわざはひにて候しなり、一年二年ならず数十年が間仏にあだをなしまいらせ仏の御弟子を殺

せし事数をしらず、

P1149

かかりしかば天いかりをなして天変しきりなり、地神いかりをなして地夭申すに及ばず、月月に悪風年年に飢饉

疫癘来りて万民ほとんどつきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む、既に危く成りて候し程に阿闍世王或

は夢のつげにより或は耆婆がすすめにより或は心にあやしむ事ありて提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりて

やうやうにたいほう申せしかば身の病忽にいゑ他方のいくさも留まり国土安穏になるのみならず三月の七日に御

崩御なるべかりしが命をのべて四十年なり、千人の阿羅漢をあつめて一切経ことには法華経をかきをかせ給いき

、今我等がたのむところの法華経は阿闍世王のあたへさせ給う御恩なり。

 是はさてをきぬ仏の阿闍世王にかたらせ給いし事を日蓮申すならば日本国の人は今つくれる事どもと申さんず

らんなれども我が弟子檀那なればかたりたてまつる、仏言わく我が滅後末法に入つて又調達がやうなるたうとく

五法を行ずる者国土に充満して悪王をかたらせて但一人あらん智者を或はのり或はうち或は流罪或は死に及ぼさ

ん時昔にもすぐれてあらん天変地夭大風飢饉疫癘年年にありて他国より責べしと説かれて候、守護経と申す経の

第十の巻の心なり。

 当時の世にすこしもたがはず、然るに日蓮は此の一分にあたれり日蓮をたすけんと志す人人少少ありといへど

も或は心ざしうすし或は心ざしはあつけれども身がうごせずやうやうにをはするに御辺は其の一分なり心ざし人

にすぐれてをはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめてしろしめし地もしらせ給いぬらん殿

いかなる事にもあはせ給うならばひとへに日蓮がいのちを天のたたせ給うなるべし、人の命は山海空市まぬかれ

がたき事と定めて候へども又定業亦能転の経文もあり又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり、前に申せしやう

に蒙古国のよするまでつつしませ給うなるべし、主の御返事をば申させ給うべし

P1150

身に病ありては叶いがたき上世間すでにかうと見え候それがしが身は時によりて憶病はいかんが候はんずらん、

只今の心はいかなる事も出来候はば入道殿の御前にして命をすてんと存じ候、若しやの事候ならば越後よりはせ

上らんははるかなる上不定なるべし、たとひ所領をめさるるなりとも今年はきみをはなれまいらせ候べからず。

 是より外はいかに仰せ蒙るともをそれまいらせ候べからず、是よりも大事なる事は日蓮の御房の御事と過去に

候父母の事なりとののしらせ給へ、すてられまいらせ候とも命はまいらせ候べし後世は日蓮の御房にまかせまい

らせ候と高声にうちなのり居させ給へ。

=建治二年丙子九月六日               日蓮花押

%  四条金吾殿