日眼女造立釈迦仏供養事

日眼女造立釈迦仏供養事  /弘安二年二月 五十八歳御作

 御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女御供養の御布施前に二貫今一貫云云。

 法華経の寿量品に云く「或は己身を説き或は他身を説く」等云云、東方の善徳仏中央の大日如来十方の諸仏過

去の七仏三世の諸仏上行菩薩等文殊師利舎利弗等大梵天王第六天の魔王釈提桓因王日天月天明星天北斗七星二十

八宿五星七星八万四千の無量の諸星阿修羅王天神地神山神海神宅神里神一切世間の国国の主とある人何れか教主

釈尊ならざる天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月諸仏菩薩等は万水に浮べる

影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり、譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば

身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木や

あるべきさわがぬ水やあるべき。

 今の日眼女は三十七のやくと云云、やくと申すは譬えばさいにはかどますにはすみ人にはつぎふし方には四維

の如し、風は方よりふけばよはく角より吹けばつよし病は肉より起れば治しやすし節より起れば治しがたし、家

にはかきなければ盗人いる人にはとがあれば敵便をうく、やくと申すはふしぶしの如し、家にかきなく人に科あ

るがごとし、よきひやうしを以てまほらすれば盗人をからめとる、ふしの病をかぬて治すれば命ながし、今教主

釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し国王尚此の女を敬ひ給ふ何に況や大臣已下をや、大梵天王釈提桓

因王日月等此の女人を守り給ふ況や大小の神祇をや、昔優填大王釈迦仏を造立し奉りしかば大梵天王日月等木像

を礼しに参り給いしかば木像説いて云く「我を供養せんよりは優填大王を供養すべし」等云云、影堅王の画像の

釈尊を書き奉りしも又又是くの如し、法華経に云く「若し人仏の為の故に諸の形像を建立す是くの如き諸人等皆

已に仏道を成じき」云云、

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文の心は一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべしと申す文

なり。

 抑女人は一代五千七千余巻の経経に仏にならずときらはれまします、但法華経ばかりに女人仏になると説かれ

て候、天台智者大師の釈に云く「女に記せず」等云云、釈の心は一切経には女人仏にならずと云云、次下に云く

「今経は皆記す」と云云、今の法華経にこそ竜女仏になれりと云云、天台智者大師と申せし人は仏滅度の後一千

五百年に漢土と申す国に出でさせ給いて一切経を十五返まで御覧あそばして候いしが法華経より外の経には女人

仏にならずと云云、妙楽大師と申せし人の釈に云く「一代に絶えたる所なり」等云云、釈の心は一切経にたえた

る法門なり、法華経と申すは星の中の月ぞかし人の中の王ぞかし山の中の須弥山水の中の大海の如し、是れ程い

みじき御経に女人仏になると説かれぬれば一切経に嫌はれたるになにかくるしかるべき、譬えば盗人夜打強盗乞

食渇体にきらはれたらんと国の大王に讃られたらんと何れかうれしかるべき、日本国と申すは女人の国と申す国

なり、天照太神と申せし女神のつきいだし給える島なり、此の日本には男十九億九万四千八百二十八人女は二十

九億九万四千八百三十人なり、此の男女は皆念仏者にて候ぞ皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす現世の祈りも

又是くの如し、設い釈迦仏をつくりかけども阿弥陀仏の浄土へゆかんと思いて本意の様には思い候はぬぞ、中中

つくりかかぬにはをとり候なり。

 今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし、二十九億九万四千

八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。

= 弘安二年己卯二月二日 日蓮花押

% 日眼女御返事

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