四条金吾殿御返事 |
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四条金吾殿御返事 /弘安五年正月 六十一歳御作
満月のごとくなるもちゐ二十かんろのごとくなるせいす一つつ給候い畢んぬ、春のはじめの御悦びは月のみつる がごとくしをのさすがごとく草のかこむが如く雨のふるが如しと思し食すべし。 抑八日は各各の御父釈迦仏の生れさせ給い候し日なり、彼の日に三十二のふしぎあり一には一切の草木に花さ きみなる二には大地より一切の宝わきいづ三には一切のでんぱたに雨ふらずして水わきいづ四には夜変じてひる の如し五には三千世界に歎きのこゑなし、是くの如く吉瑞の相のみにて候し、是より已来今にいたるまで二千二 百三十余年が間吉事には八日をつかひ給い候なり。 然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給いて候にいかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて各各 あつまらせ給いて八日をくやう申させ給うのみならず山中の日蓮に華かうををくらせ候やらん、たうとしたうと し、恐恐。 =正月七日 日蓮花押@ % 人人御返事 P1199 |