さじき女房御返事 |
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さじき女房御返事 /建治元年五月 五十四歳御作
女人は水のごとしうつは物にしたがう女人は矢のごとし弓につがはさる女人はふねのごとしかぢのまかするによ るべし、しかるに女人はをとこぬす人なれば女人ぬす人となるをとこ王なれば女人きさきとなるをとこ善人なれ ば女人仏になる、今生のみならず後生もをとこによるなり、しかるに兵衛のさゑもんどの(左衛門殿)は法華経 の行者なり、たとひいかなる事ありともをとこのめなれば法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに又我 とこころををこして法華経の御ために御かたびらをくりたびて候。 法華経の行者に二人あり聖人は皮をはいで文字をうつす凡夫はただひとつきて候かたびらなどを法華経の行者 に供養すれば皮をはぐうちに仏をさめさせ給うなり、此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の 仏にまいらせさせ給いぬれば六万九千三百八十四のかたびらなり、又六万九千三百八十四の仏一一六万九千三百 八十四の文字なれば此のかたびらも又かくのごとし、たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにす こしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる、此のかたびらも又かくのごとし、 ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。 この功徳は父母祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん、ましてわがいとをしとをもふをとこは申すに及ばず と、おぼしめすべし、おぼしめすべし。 = 五月二十五日 日蓮花押 % さじき女房御返事 P1232 |