善無畏抄

善無畏抄 /建治元年 五十四歳御作

善無畏三歳は月氏烏萇奈国の仏種王の太子なり、七歳にして位に即き給う十三にして国を兄に譲り出家遁世し

五天竺を修行して五乗の道を極め三学を兼ね給いき、達磨掬多と申す聖人に値い奉りて真言の諸印契一時に頓受

し即日に御潅頂なし人天の師と定まり給いき、^足山に入りては迦葉尊者の髪を剃り王城に於て雨を祈り給いし

かば観音日輪の中より出て水瓶を以て水を潅ぎ、北天竺の金粟王の塔の下にして仏法を祈請せしかば文殊師利菩

薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給う、其の後開元四年丙辰に漢土に渡る玄宗皇帝之を尊むこと日月の如し

、又大旱魃あり皇帝勅宣を下す、三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給いしに水の中に指許りの物有り変じて竜と成

る其の色赤色なり、

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白気立ち昇り鉢より竜出でて虚空に昇り忽に雨を降す、此の如くいみじき人なれども一時に頓死して有りき、蘇

生りて語つて云く我死つる時獄卒来りて鉄の繩七筋付け鉄の杖を以て散散にさいなみ閻魔宮に到りにき、八万聖

教一字一句も覚えず唯法華経の題名許り忘れざりき題名を思いしに鉄の繩少し許ぬ息続いて高声に唱えて云く今

此三界皆是我有其中衆生悉是吾子而今此処多諸患難唯我一人能為救護等云云、七つの鉄の繩切れ砕け十方に散す

閻魔冠を傾けて南庭に下り向い給いき、今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給いき、今日蓮不審して云く

善無畏三蔵は先生に十善の戒力あり五百の仏陀に仕えたり、今生には捨て難き王位をつばきを捨てるが如く之を

捨て幼少十三にして出家し給い、月支国を廻りて諸宗を習い極め天の感を蒙り化道の心深くして震旦国に渡りて

真言の大法を弘めたり、一印一真言を結び誦すれば過去現在の無量の罪滅しぬらん何の科に依りて閻魔の責をば

蒙り給いけるやらん不審極り無し、善無畏三蔵真言の力を以て閻魔の責を脱れずば天竺震旦日本等の諸国の真言

師地獄の苦を脱る可きや、委細に此の事を勘えたるに此の三蔵は世間の軽罪は身に御せず諸宗並びに真言の力に

て滅しぬらん、此の責は別の故無し法華経誹謗の罪なり、大日経の義釈を見るに此の経は是れ法王の秘宝妄りに

卑賎の人に示さず、釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因って方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し

、今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘処なり、故に寿量品に云く「常に霊鷲山及び余の諸の住処に在り、乃至

我が浄土は毀れざるに而も衆は焼き尽くと見る」と、即ち此の宗瑜伽の意なるのみ、又「補処の菩薩の慇懃三請

に因って方に為に之を説く」等云云、此の釈の心は大日経に本迹二門開三顕一開近顕遠の法門有り、法華経の本

迹二門の如し、此の法門は法華経に同じけれども此の大日経に印と真言と相加わりて三密相応せり、法華経は但

意密許りにて身口の二密闕けたれば法華経をば略説と云い大日経をば広説と申す可きなりと書かれたり、此の法

門第一のワ謗法の根本なり、此の文に二つのワり有り、

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又義釈に云く「此の経横に一切の仏教を統ぶ」等云云、大日経は当分随他意の経なるをワりて随自意跨節の経と

思えり、かたがたワりたるを実義と思し食す故に閻魔の責をば蒙りたりしか智者にて御座せし故に此の謗法を悔

い還えして法華経に飜りし故に此の責を免がるるか、天台大師釈して云く「法華は衆経を総括す乃至軽慢止まざ

れば舌口中に爛る」等云云、妙楽大師云く「已今当の妙此に於て固く迷えり舌爛止まざるは猶華報と為す、謗法

の罪苦長劫に流る」等云云、天台妙楽の心は法華経に勝れたる経有りと云はむ人は無間地獄に堕つ可しと書かれ

たり善無畏三蔵は法華経と大日経とは理は同じけれども事の印真言は勝れたりと書かれたり、然るに二人の中に

一人は必悪道に堕つ可しとをぼふる処に天台の釈は経文に分明なり、善無畏の釈は経文に其証拠見えず、其の上

閻魔王の責の時我が内証の肝心と思食す大日経等の三部経の内の文を誦せず、法華経の文を誦して此の責を免れ

ぬ、疑無く法華経に真言勝ると思うワを飜したるなり其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には大

日経金剛頂経の両部の大日をば左右に立て法華経多宝仏をば不二の大日と定めて両部の大日をば左右の巨下の如

くせり。

 伝教大師は延暦二十三年の御入唐霊感寺の順暁和尚に真言三部の秘法を伝う、仏滝寺の行満座主に天台止観宝

珠を請け取り顕密二道の奥旨を極め給いたる人、華厳三論法相律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して天台大師に

帰入せる由を書かせ給いて候、依憑集守護章秀句なむど申す書の中に善無畏金剛智不空等は天台宗に帰入して智

者大師を本師と仰ぐ由のせられたり、各各思えらく宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌うは常の習なりと思え

り、法然なむどは又此例を引きて曇鸞の難易道綽の聖道浄土善導が正雑二行の名目を引きて天台真言等の大法を

念仏の方便と成せり、此等は牛跡に大海を入れ県の額を州に打つ者なり、世間の法には下剋上背上向下は国土亡

乱の因縁なり、仏法には権小の経経を本として実経をあなづる、大謗法の因縁なり恐る可し恐る可し。

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 嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、然りと雖も竜樹菩薩の造

の百論中論十二門論大論を尊んで般若経を依憑と定め給い、天台大師を辺執して過ぎ給いし程に智者大師の梵網

等の疏を見て少し心とけやうやう近づきて法門を聴聞せし程に結句は一百余人の弟子を捨て般若経並びに法華経

をも講ぜず七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれたり、天

台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負奉り給うて堀を越え給いき、吉蔵大師程の人だに

も謗法を恐れてかくこそ仕え給いしか、然るを真言三論法相等の宗宗の人人今末末に成りて辺執せさせ給うは自

業自得果なるべし。

 今の世に浄土宗禅宗なんど申す宗宗は天台宗にをとされし真言華厳等に及ぶ可からず、依経既に楞伽経観経等

なり此等の経経は仏の出世の本意にも非ず一時一会の小経なり一代聖教を判ずるに及ばず、而も彼の経経を依経

として一代の聖教を聖道浄土難行易行雑行正行に分ち教外別伝なむどののしる、譬えば民が王をしえたげ小河の

大海を納むるが如し、かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人人は無間地獄脱る可きや、然れば当世の愚者

は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。

 其の上女人は五障三従と申して世間出世に嫌われ一代の聖教に捨てられ畢んぬ、唯法華経計りにこそ竜女が仏

に成り諸の尼の記はさづけられて候ぬれば一切の女人は此の経を捨てさせ給いては何の経をか持たせ給うべき

、天台大師は震旦国の人仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給いき、法華経に三十巻の文を注し

給い文句と申す文の第七の巻には「他経には但男に記して女に記せず」等云云、男子も余経にては仏に成らざれ

ども且らく与えて其をば許してむ、

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女人に於ては一向諸経に於ては叶う可からずと書かれて候、縦令千万の経経に女人成る可しと許され為りと雖も

法華経に嫌われなば何の憑か有る可きや。

 教主釈尊我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔い返し涅槃経等をば当説と嫌い給い無量義経をば今説と定め

置き、三説に秀でたる法華経に「正直に方便を捨て但無上道を説く世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべ

し」と釈尊宣べ給いしかば、宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給いて真実なる由の証明を加え、十方分身の

諸仏広長舌を梵天に付け給う、十方世界微塵数の諸仏の舌相は不妄語戒の力に酬いて八葉の赤蓮華に生出させ給

いき、一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏の四百万億那由佗の世界に充満せる仏の御舌を以て定め置き給える女

人成仏の義なり、謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪嫉妬瞋恚十悪五逆なりとも草木の露

の大風にあえるなる可し三冬の冰の夏の日に滅するが如し、但滅し難き者は法華経謗法の罪なり、譬えば三千大

千世界の草木を薪と為すとも須弥山は一分も損じ難し、縦令七つの日出でて百千日照すとも大海の中をばかわか

しがたし、設い八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て大小乗の戒行を尽し十方世界の衆生を一子の如くに為すと

も法華経謗法の罪はきゆべからず、我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華

経誹謗の罪なるべし、女人と生れて百悪身に備ふるも根本此の経誹謗の罪より起れり。

 然者此の経に値い奉らむ女人は皮をはいで紙と為し血を切りて墨と為し骨を折りて筆と為し血の涙を硯の水と

為して書き奉ると雖も飽く期あるべからず、何に況や衣服金銀牛馬田畠等の布施を以て供養せむはもののかずに

てかずならず。

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